ふと気付く...

以前、友人や知人のblogに書かれる文章、あるいはPCに送られてくるE-Mailに、世代が現れていることについて、何処かの私のblogで触れたことがあった。むろん例外の変わり者さん(失礼!)はおられるのだけれども。
どんなことをかつて書いたのかと申しますと、概して年齢を重ねておられる方程、原稿用紙の書き方に近い綴り方をなさると思います。中には、段落毎にちゃんと一文字下げで書いてメールをくださる方もおられる。一方お若い方ほど、Mail Windowやweblogの表示枠に即した(?)状態で書かれている(その多くが15-20文字程度で改行が頻繁に行われている)。更に、年齢が下がれば下がる程、私には解読不可能な顔文字が多用されている...ゴメンナサイ分かりません...。
と、そういうことを書いたのだけれども、当時は私のblogは後者に近かったのだけれども、ふと...最近あまり改行せずに文章を綴っていることに気付いた...。
うーん...それって、どういうことなんだろう???
まぁ、MTにしてスキンも素人構築なので(笑)ブラウザによって表示も違うだろうし...ということを無意識のうちに考慮している結果であろう...と自分で自分を納得させておくことにします。
つれづれでした。

先人の名言

最近、私のレパートリーの時代の音楽観 よりも以前の音楽観や音楽に対する考え方は、一体どのようなものであったのかが、非常に気になっています。なぜなら、人間の歴史はある日突然変わってしまうものではないから・・・。
自分がバロック期の音楽に携わっているが故に、その後の時代の音楽に対して、あれこれと思うことがある。「その後の時代の音楽」に少なからずバロック期の音楽から受け継いでいるものが容易に認められるからです。それを考えると、過去から受け継いでいるものは、当然バロック期の音楽にもあるからで、それ故に、バロック期以前はどうであったのか? が気になっています。
音楽史について勉強していた頃、正直、ルネサンス以前のお話は、殆どスルーしていました ^_^; 細かいことは、どうでも良い・要旨(?)さえ分かれば良いという姿勢で...。
大した資料では決してないのですが、かつてスルーしたとこらへん該当時代を読んでいるのですが、偉大な先人たちは良いことを言っている・・・ごくごく内輪で音楽に対して談義している時、むろん自分のことは棚にあげながら、吐露していることが文字で残っているのです。それらについては、やっと「何たるか」が分かってきた事柄であり、流し読みしていた頃、文字だけを見て本質まで読み取ることは出来ていなかったとは思うのですが、もっとちゃんと読んでおくべきだったなぁなどと思うのです。
しかしながら、今の私が演奏に対して・音楽に対して痛感することを、紀元前の先人でさえも残しているということは、人間にとって音楽観の本質は、長い時を経てもさほど変化はしていないように思えてきます。勿論、あくまでも私の解釈であって、そう断言するのは非常に危険であるとは思うのですが。

Twaalf

2008年12日目。

カレンダーを見ましたら、「初亥」とありました。
ふぅーん。
今年は元旦「初子」だったのか。では子年だから、元旦は「初子」だったのか?そうかなぁ...違う気がする。
毎年その干支で元旦は始まるのでしょうか? (そうでもない気がする)

小学生(低学年)の算数で考えてみよう。

365を12で割る。30あまり5

割り切れないから、違う。

(365かける3たす366)を12で割る。121あまり9... 閏年が訪れる度に上手くそうなっている訳でもない。では干支一回りしたら戻ってくるのでしょうか? ちょこっと計算してみましたが、そうでもないようです。
2008年は、珍しい年なのかもしれない。

... と無駄な計算をしていないで、マトモにblogを更新しましょう! との声が聞こえてきそうですね ^_^;
元旦以来、12日ぶりの更新です(笑)


あけましておめでとうございます。
今年も様々なチェンバロ作品をご紹介していけるよう頑張ってまいります。
どうぞ皆様2008年も宜しくお願い申し上げます。



from Seiko NAKATA