久々にJ.S.バッハの大編成作品の楽譜を読んでいます。
 マニフィカート Magnificat

 ... 真面目なお話の前に1つ コバナシ(?) ... 以前、某デパートのCDフェアを覗いてみた時のこと。気を効かせてクラシック・コーナーではカタカナ表記のラベルが付けられていました。そこに思わず笑ってしまった表記が幾つかありました。
 「マライス」... ?? ... あっ マレね ! [マレ Marais]
 「バッハ / マグニフィキャット」... みゃあーお まぐにふぃきゃっと?? バッハってネコちゃんの音楽なんて書いていたっけ?? ... あっ! マニフィカートだ!! [マニフィカート Magnificat]

 ... 笑い話はここまで。
 こうやって笑っていても、日本では当たり前の「バッハ」とJ.S.Bach氏のことをカタカナで言っても通じませんからね。
 私は語学が不得意だけれども、日本人はカタカナで聞いて片仮名で言ってしまう癖がありますね。最近やっとアルファベットで表記される言語は、知らない言葉も聞いてアルファベットで想像出来るようになってきました。これが子供の頃から出来れば良かったのでしょうが... 気付くのが遅かった!

 さて、マニフィカートは来月に演奏するのですが(詳細は本記事末をご参照ください)、器楽だけが登場する作品よりもJ.S.バッハの凄みを読譜していて感じます。やはり音と言語の一致性によって余計感じられるのだと思うし、それらの動機発展だとか声部(声のラインだけではなく器楽も)絡ませ方が非常に面白い。J.S.バッハが残した全てのジャンルの作品をまだ読譜していませんが、宗教曲には特に彼の凄みが現れているような気がします。ここ数年は世俗器楽曲の演奏がメインなので、たまに宗教曲の楽譜を本気で見るとJ.S.バッハへの畏怖が恐ろしいほどに増します。


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☆この公演には、私は2ndステージのみに出演します。
若い音楽家が力を入れて公演制作していますので、よろしければいらしてください。


阪神淡路大震災15周年記念・自然災害支援事業
 『人の光と影』リーフレットを見る

日時: 2010年7月19日(祝日・月) 開演18:00 (開場17:30)
会場 : 神戸バプテスト教会
入場料 : 4,500円
 ★演奏会経費を除く収益金全額を財団法人ユニセフ協会自然災害支援に
   寄付いたします

  1stステージ: J.S.Bach プレリュード (ギターソロ)
  2ndステージ: J.S.Bach マニフィカート
  3rdステージ : W.A.Mozart レクイエム

 ・指揮:粟辻聡 制作:山本欽也 お話:坂本献
 ・ソプラノ: 掛戸有美 端山梨奈  アルト: 山田愛子 廣澤敦子
  テノール : 山本欽也  バリトン : 木村孝夫 楠木稔
  ギター : 西尾純平
  管弦楽:人の光と影 特別オーケストラ
  合唱 :人の光と影 特別混声合唱団

 ・お問い合わせ : 音楽企画 Primo Musica
   primomusica09@yahoo.co.jp Tel. 075-874-4459

 主催 : 音楽企画Primo Musica
 後援 : 神戸バプテスト教会、大阪音楽大学同窓会幸楽会


 ☆ 私へE-mailにて御連絡 頂けましたら、
   御予約の手配も致します→ info@klavi.com

140words

 これ面白いなぁと思いました↓
 http://allabout.co.jp/mensstyle/mensfashionitem/closeup/CU20100418A/
 140字詰め原稿用紙ですって。普通の原稿用紙は400字詰め。
 140字、すなわちTwitterの1記事の字数制限ですね。
 こういう原稿用紙を使えば、weblogネタも簡潔明瞭に記事化出来るかな? 下書きに使えるかな? と思いましたが、そう思って気付いたことは、ブラウザからや (私の場合)iPhoneだとか からだと気軽に140字で何かを発信出来るけれども、いざペンを持ち140字で物事を文章に起こすとなるとそうそう気軽には出来ないということ。文章を書くのが億劫だとか、ペンで文字を綴って文章を書くのは苦手だとか、そういう意味ではありません。keyboardを打つという行為には、物事についてよく考えるという行為が省略されている場合が少なくないなぁと思ったという訳です。
 つい先日、何でも気軽に楽に出来るようになって、例えば物作りでも多くの職人さんの手を経て一つの物が出来上がるということを意識しなくなったし、実際、言わば"インスタント"な意識で物事を捉えるようになってきているのではないか? という話をしていました。最近こういったことを色々な方と話すことが多くなってきています。自分が意識してそういう話題を出しているのではなく、何故かそういう話が出てくるのです。少なくとも、私の周囲では「何かおかしいのではないか?」と常日頃思っている方が多いということであり、それは良いことだと思いますが、改めて自分もインスタントに文章を紡いでいる・・・発言をしている・・・ということに気付いた次第です。
 このweblogの記事だって、よーく考えてはいるのだけれども (website"Klavi"を初めて作った2000年から、ネット上にゴミを吐き出してはならない、と思っています)、ペンで文字を綴って文章にしていく作業と比べれば、意識の重さ(?)というのは軽い方に天秤のお皿はあるように思います。