Musicology for Harpsichord Music by Seiko Nakata

Musicologyのタイトルですが、ここで綴っているのは音楽「学」ではなく音楽「考」です。
 

2013.12.21開催 (於 アンリュウリコーダーギャラリータケヤマホール)
中田聖子チェンバロリサイタルVol.11 Art of J.S.Bach V
「J.S.バッハ『フランス組曲』全曲演奏会」プログラムノート
 
 
「J.S.バッハの 『フランス趣味』で書かれた6つの組曲」中田 聖子
 
 本日はリサイタルにお越しくださり、ありがとうございます。今回選んだプログラムはヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750]の「6つのフランス組曲」全曲演奏です。J.S.バッハは「6つのパルティータ」「6つのイギリス組曲」「フランス風序曲」をはじめ、沢山のチェンバロのための舞曲組曲を残しています。その中でも「6つのフランス組曲」はシンプルな小規模構成で、非常に親しみやすいタイプの組曲集だと思います。そして、彼の舞曲組曲の中でも最も「撥弦楽器であるチェンバロ」の楽器特性を生かして書かれている作品です。
 この「6つのフランス組曲」は、J.S.バッハが30代後半であった1722年頃から書かれ始めたと考えられており、残存する最も初期の稿は新しい妻に贈った「アンナ・マクダレーナ・バッハの為の音楽帳 第1巻 Clavier-Büchlein vor Anna Magdarena Bachin, Anno 1722」に見ることが出来ます。但し、ここに残るのは第1番から第5番迄で、第6番は欠落しています。しかし、音楽帳の後ろ部分40ページ近くが取り除かれている為、その中に第6番が記されていた可能性はゼロではありません。この音楽帳が書かれた1722年頃はバッハが非常に教育に熱心であった時期で、同年「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」、翌年「インヴェンションとシンフォニア」が書かれており、これらの作品同様に「6つのフランス組曲」もまた弟子達と妻アンナ・マクダレーナの教育プログラムの要素を持っていたと考えられています。
 彼の自筆によって残っているものはこの音楽帳のみですが、彼の弟子達、即ち、ヨハン・カスパル・フォーグラー Joann Kaspar Vogler [1695/6-1765] (最も古い弟子)やヨハン・クリストフ・アルトニコルJohann Christoph Altnickol [1719/20-59] (弟子であり四女の婿)による筆写譜、そして、恐らくヨハン・シュナイダーJohann Schneider [1702-1788]によるものと思われる筆写譜が残っています。また、これらと共に「アンナ・マクダレーナ・バッハの為の音楽帳 第2巻(1725)」に妻によって記されたものが残っており、それらからは幾度もJ.S.バッハが改作したことが伺われます。つまり、数種の異稿が残っている訳ですが、本日はJ.C.アルトニコルの伝承稿で演奏致します。多くの筆写譜は弟子による発展稿である可能性もあるため、比較的初期の形に近いものを選択するとアルトニコル稿であること、又、他の筆写譜には欠落組曲があるのに対し、6組曲全てが揃っていて、且つ、1番から6番までが順に並んでいることも稿選択の理由です。
 さて「6つのフランス組曲」と呼んでいるこの組曲、作曲家自身によるタイトルではないことは よく知られていると思います。音楽帳の自筆譜を見ますと、どの組曲にも「Suite pour le Clavessin (クラヴサン[=チェンバロ]のための組曲)」と記されており、確かに「フランス組曲」とは書かれていません。初めてこの呼び名が記載されているのは、バッハ家と親交のあった音楽理論家フリードリッヒ・ウィルヘルム・マールプルクFriedrich Wilhelm Marpurg[1718-1795]の1762年の論文においてで、J.S.バッハの没後からそう時が経過せぬうちに「フランス組曲」と既に呼ばれていたことが想像出来ます。その後もフランス趣味で書かれていることから「フランス組曲」と呼ばれ、今日に至るようです。「フランス趣味」については様々な視点・見解がありますが、私自身は舞曲の形式そのもののフランス趣味以上に「チェンバロ作品としてのフランス趣味」を持つ組曲集である、と考えております。
 チェンバロ作品における「フランス趣味」の大きな特徴として挙げられるのは、「スティル・ブリゼ Style brisé」による書かれ方です。スティル・ブリゼは、リュートで用いられた分散奏法やつま弾きをチェンバロで模倣するような書法のことで、ルイ・クープラン Louis Couperin[ca.1626-1661]やジャン=アンリ・ダングルベール Jean-Henry D'Anglebert[1628-1691]といった17世紀フランスの作曲家達によって用いられました。そして、この17世紀フランスのチェンバロ作品の様式は、ヨハン・ヤーコブ・フローベルガー Johann Jacob Froberger[1616-1667]のような一部の17世紀のドイツの作曲家のチェンバロ作品にも流入していきます。彼らから後のJ.S.バッハもまたスティル・ブリゼをチェンバロのための舞曲作品に取り入れていますが、特に顕著に現れているのがこの「6つのフランス組曲」だと思います。チェンバロは「リュートに鍵盤が付いたような楽器」という考え方があり、奏者は常に鍵盤の奥にある見えない部分での撥音を考え乍ら演奏しています。その面において、リュートの模倣奏法であるスティル・ブリゼは撥弦楽器チェンバロの特性をより生かせるものであり、それ故にJ.S.バッハの鍵盤作品における最もチェンバロらしさを要求するものとして「6つのフランス組曲」を挙げることが出来るのではないか、と思います。又、スティル・ブリゼに着目すると自然に必要となることですが、フランスのチェンバロ作品において要求される独特の幾つかの奏法を用いるとより効果的に演奏出来る箇所が多く、これも「フランス趣味」の要素に数えて良いのではないか、と感じております。
 ところで、J.S.バッハの主要なチェンバロ組曲の舞曲構成には次のような特徴があります。まず前奏曲類で書き始められ、その後第一舞曲にアルマンドが置かれ、クーラントとサラバンドが続きます。そして、サラバンドの後「ギャラント」と呼ばれる様々な舞曲が置かれ、ジーグで締めくくられます。
 しかし、6つのフランス組曲には、前奏曲類がありません。「6つのパルティータ」や「6つのイギリス組曲」の各々の前奏曲類として書かれたものは比較的長大なものが多く、それが無い為にフランス組曲は小規模に纏まっているとも考えられますが、果たしてアルマンドの前には何も弾かなかったのでしょうか? 第1番や第4番のアルマンドはプレリュードの性格を持っている、と見ることも出来るのですが、スティル・ブリゼに見られる17世紀フランスのチェンバロ作品からの影響を考えますと、舞曲組曲として演奏する場合には即興的な何らかの前奏を伴っていたようなので、「フランス組曲」にも即興的な前奏を伴っていたのではないか、と想像することが出来ます。しかしながら、J.S.バッハ先生の大作に相応しいプレリュードを即興演奏するだけの力を私は持ち合わせていませんので、本日は「平均律クラヴィーア曲集 第2巻 より 『第5番プレリュードとフーガ ニ長調 BWV874』」を組曲集の前奏として弾かせて頂くことに致しました。
 さて、前奏に謎があれば、終曲にも謎がある......。第6番ではギャラント舞曲(サラバンドとジーグの間に置く挿入舞曲)であるメヌエットが先述の舞曲構成のルール通りではなく、ジーグのあとに置かれています。第6番のメヌエットを終曲とするか、或は、この舞曲構成配置は筆写時の間違いでギャラントであると見るか......。第6番の自筆譜が残存しない為、研究者や奏者によって様々な考え方があるのですが、本日は終曲として演奏致します。フランスの組曲をはじめとする作品には可愛らしいメヌエットが終曲として置かれ、余韻を楽しむかのようなものが多くあります。第6番のメヌエットもそのような性格を持っており、「フランス趣味」の組曲集に相応しく書かれているのではないでしょうか。
 幾つかの謎が孕む「J.S.バッハのフランス趣味」と彼が求めた「撥弦楽器チェンバロらしさ」を、この「6つのフランス組曲」で皆様にお届け出来ますと幸いです。

(解説・文 : 中田 聖子 チェンバロ奏者)

===== Program =====

ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685-1750)
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

・平均律クラヴィーア曲集 第2巻より第5番
 プレリュードとフーガ ニ長調 BWV874
 Das Wohltemperierte Klavier II, Nr.5
 Praeludium und Fuga, D-dur, BWV874


「6つのフランス組曲」BWV812-817
  (アルトニコル伝承稿使用)
Die sechs Französischen Suiten BWV812-817
  (Ältere Gestalt nach Altnickols Überlieferung)


・第1番 ニ短調 BWV812
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.メヌエット I-II  5.ジーグ
 Suite 1. d-moll , BWV812
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Menuet I-II 5.Gigue


・第2番 ハ短調 BWV813
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.エール 5.メヌエット 6.ジーグ
 Suite 2. c-moll , BWV813
 1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Air 5.Menuet 6.Gigue

・第3番 ロ短調 BWV.814
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.メヌエット - トリオ
  6.ジーグ
 Suite 3. h-moll, BWV 814
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Menuet - Trio 6.Gigue

-- 休憩 Interval-

・第4番 変ホ長調 BWV815
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.エール
  6.ジーグ
 Suite 4. Es-dur, BWV 815
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Air
  6.Gigue

・第5番 ト長調 BWV816
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.ブーレ 6.ルール
  7.ジーグ
 Suite 5. G-dur, BWV816
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Bourrée
  6.Loure 7.Gigue

・第6番 ホ長調 BWV.817
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.ポロネーズ 
  6.ブーレ 7.ジーグ 8.メヌエット
 Suite 6. E-dur, BWV817
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Polonaise
  6.Bourrée 7.Gigue 8.Menuet


Harpsichord : Flemish Style, "Ruckers" Double Manual by Akira Kubota
Tune : a'=415 Hz, Young II
Tuner : Tomoko Sakuma

2013/07/20 開催 「記憶の彼方からの響き Vol.3」- from Memory of Germany - のプログラムノートとして、"作品作曲家紹介"を主旨として書いたものです。




ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685アイゼナハ - 1750ライプツィヒ)
ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021」
Sonata für Violin und Basso Continuo, G-dur, BWV1021
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903」
Chromatische Fantasie und Fuge, d-moll, BWV903

 クラシック音楽のジャンルにおいて、その音楽の歴史を語る際、古い音楽としてはJ.S.バッハから話が始まることが多いように思います。しかしながら、バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロをはじめとする所謂「古楽器」においては、J.S.バッハの音楽は最も新しいものであり、本日取り上げる4人の作曲家の中でも一番最後に生まれた作曲家です。バッハが若かりし頃にドイツでよく知られていた作曲家は、J.J.フローベルガー、J.C.F.フィッシャー、J.K.ケルル、J.パッヘルベル、G.ベーム、D.ブクステフーデらでした。アイゼナハで生を受け、幼少期に両親を亡くして長兄に育てられた彼は音楽の勉強にも熱心で、兄の持つこれらの作曲家たちの楽譜を夜中に写譜していたそうですが、先人の楽譜を通して「ドイツの音楽の伝統」を身につけていたのでしょう。
 彼の作品から「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1021」でコンサートを幕開け致します。「バロック時代 = 通奏低音時代」と定義付けされるほど、バロック時代の作品には「通奏低音」、即ち、その言葉通りに低音が通奏されて行き、それを礎に旋律楽器が奏でられる作曲スタイルがほぼ100%です。通奏低音楽器としては、和音を演奏出来るチェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器やリュート、そして低音楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ、ファゴットなどを用いていました。「旋律楽器と通奏低音のためのソナタ」は、現在で言うデュオのスタイルで楽譜が書かれており、「旋律楽器」と「チェンバロかオルガンかリュートなどの和音を演奏出来る通奏低音楽器」のデュオ編成で今日では演奏されることが多いですが、当時はこれに「ヴィオラ・ダ・ガンバかチェロあるいはファゴットなどの低音楽器」を加えた「トリオ」編成で演奏される習慣がありました。ところで、バッハは自作の作品の楽器編成を変え、別の作品に仕上げたものを幾つか残していますが、「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021」は、「フルートとヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1038」の原作となったものでもあります。
 「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903」は、彼のチェンバロ曲の代表作品の一つですが、18世紀当時から高く評価されていたものである、と伝えられています。20世紀に入るまで演奏家と作曲家が一致していることが殆どで、「演奏される曲」とは当時のコンテンポラリーであり、多くの18世紀以前の作品が取り上げられることは殆どありませんでした。しかし、バッハのこの曲は19世紀にもピアニストたちによってよく演奏されていた人気作品であったようです。


ゲオルク・フィリップ・テレマン Georg Philipp Telemann (1681マクデブルク - 1767ハンブルク)
ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ イ短調 TWV41:a6
Sonata für Viola da Gamba und Basso Continuo, a-moll TWV41:a6 [Essercizii Musici ]
無伴奏ヴァイオリンの為のファンタジア 第5番 イ長調 TWV40:18
Fantasie für Violin ohne Baß Nr.5 A-dur TWV40:18 (1735)

 現在ドイツ・バロックを代表する作曲家として真っ先に挙げられるのはJ.S.バッハだと思います。しかし、18世紀前半に指導的役割を果たし、当時最も有名な作曲家はバッハではなく、G.P.テレマンでした。若い作曲家はテレマンの元に集まり、又、多くの聴衆を喜ばせていたのは彼の音楽であった、と伝えられています。当時の様々な理論家が彼の作品を引用し、又、「ドイツの作曲家で最も革新的な人」としてJ.A.ハッセ、C.H.グラウン、G.F.ヘンデルと共に挙げられたのもテレマンでした。当時J.G.ヴァルターの「音楽事典 Lexicon」でバッハの4倍ものスペースを費やしてテレマンについて書かれたことからも、その名声を伺い知ることが出来ます。彼はマクデブルクで生まれ、ラテン語、修辞学、弁証法を学び、音楽家一族の子供のような特別な教育ではないながらも、音楽の演奏を学び幼少期を過ごします。大学では法律を学び始めた彼でしたが、音楽的才能に溢れた楽譜をルームメートに見つけられ、バッハが後にカントルとなる聖トーマス教会でのカンタータを書くようにライプツィヒ市長頼まれるようになります。そして、それを機にテレマンは音楽家の道を歩んでゆきました。ライプツィヒでバッハが関わった学生たちのコレギウム・ムジクムを創設したのもテレマンでした。テレマンとバッハ、この二人の繋がりは濃かったようで、テレマンはJ.S.バッハの次男 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名付け親でもあったことはよく知られています。
 多作家であったテレマンですが、音楽愛好家のための親しみやすい旋律をもつ作品を多く残しており、当時名声を博した一因はこの種の作品によると考えられています。種々の楽器のための曲集である「エセルチージ・ムジチ Essercizii Musici (音楽の練習) 」はその一つです。本日は、この中の「ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ イ短調TWV41:a6」で、貴族の楽器であった典雅なヴィオラ・ダ・ガンバの音色をお楽しみください。又、テレマンは無伴奏の為の作品も多く残しています。18世紀ドイツのヴァイオリン無伴奏曲といえば、バッハの「無伴奏パルティータ」か、テレマン 1735年出版の「12のファンタジア」が挙げられるでしょう。バロック・ヴァイオリンの響きを「無伴奏ヴァイオリンの為のファンタジア 第5番 イ長調 TWV40:18」でご堪能ください。

ディートリヒ・ブクステフーデ Dietrich Buxtehude (ca.1637-1707リューベク)
ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ(の通奏低音)為のトリオソナタ ニ短調 op.1-6, BuxWV257
 Suonate für Violin, Viola da gamba und Cembalo, d-moll, op.1-6, BuxWV257 (1694?)

 ブクステフーデの名は、J.S.バッハが1705年10月に4週間の休暇を願い出て300km以上離れたリューベクまで徒歩旅行をした逸話で知られているのではないでしょうか。氏が戻ったのは期限を4カ月近くも過ぎてからのことであった為、アルンシュタットの聖職会議で問題になった旅。この旅の目的は、ブクステフーデのオルガン演奏を聴くことであったようです。バッハも憧れたほど、当時、非常に有名で熟練したオルガニストであったブクステフーデは、1637年頃にデンマークのアルデスロー(あるいはヘルシングボリ)で生まれたと推定されています。彼の一族はハンブルク南西にある「ブクステフーデ」という町の出身であったようです。彼は、当時のデンマークのヘルシングボリ(現スウェーデン)やヘルセンゲアのオルガニストを経て、1668年からリューベクの聖マリア教会のオルガニストに選任されます。そして、同地市民となり、ここで1707年に生涯を終えました。彼は、リューベクで「アーベントムジーク」と呼ばれた教会での日曜夕方の演奏会を復活させ行っていましたが、バッハの逸話の「ブクステフーデのオルガン演奏」も、皇帝レオポルト1世の死を悼み、ヨーゼフ一世の即位を記念する為の「特別な」アーベントムジークであったと考えられています。
 オルガンの大家として知られるブクステフーデですが、鍵盤作品を生前には全く出版しておらず、主要出版物は室内楽曲集でした。楽譜自体は残存していませんが、目録には残る1684年の「2つあるいは3つのヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ集」、そして1694年(?)と1696年(?)に出版した2つの「7つのトリオ・ソナタ集」があり、いずれのトリオ・ソナタにもヴィオラ・ダ・ガンバを用いているのが大きな特徴と言えるでしょう。本日は1694年に出版されたとされる「7つのトリオ・ソナタ集」からニ短調の第6番を演奏します。彼は声楽作品でもヴィオラ・ダ・ガンバを重用しており、この楽器を大変愛していたのではないか、と考えられています。ヨハネス・フォールハウトが描いた油彩画「家庭音楽のひとこま Häusliche Musikszene 」(1674) には、ブクステフーデと共に、オルガニストのヨハン・アダーム・ラインケン、そして、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のヨハン・タイレと思われる人物も描かれています。これは彼の交友関係を示すものなのかもしれません。


ヨハン・フィリップ・クリーガー Johann Philipp Krieger (1649 ニュルンベルク- 1725ヴァイセンフェルス)
ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ニ短調 op.2-2
 Suonate für Violin, Viola da Gamba und Basso Continuo, d-moll, op.2-2(1693)

 現在、あまり演奏される機会のない作曲家かもしれませんが、J.P.クリーガーはD.ブクステフーデと並び17世紀後半の傑出した作曲家の一人でした。彼は、北ドイツの音楽にブクステフーデと共に多大な影響を及ぼしたJ.J.フローベルガーの弟子であったJ.ドレクセル(ドレッツェル)やG.シュッツから教育を受けた、と伝えられています。その後、コペンハーゲンで学んだ後、生地のニュルンベルクに戻りますが、バイロイトのオルガニストと宮廷楽長を経て、ハレの宮廷オルガニストの職に就きます。ハレのアウグスト公の没後、後継者であるヨハン・アードルフ1世が宮廷をヴァイセンフェルスに移したのちは、公と共にヴァイセンフェルスへ行き、クリーガーはそこで生涯を終えました。彼はヴァイセンフェルス時代に演奏した全声楽作品の目録を作成・保存する、という大きな仕事を行っています。それは1684年から約50年間に渡る「ヴァイセンフェルスで演奏された音楽の記録」でもある訳ですが、そこにはクリーガーの作品が約2000曲、弟ヨハン・クリーガーの作品が225曲、そして、他のドイツ作曲家とイタリア作曲家の作品が475曲記載されています。彼はイタリアでローゼンミュラーやベルナルド・パスクィーニらに学んでいますが、彼らの作品の他、カリッシミやレグレンツィらのイタリアの作品、ベルンハルトやヨハン・タイレのドイツの作品、そして16世紀のパレストリーナやビクトリアの作品が数曲が含まれています。この記録によれば2000曲以上あった彼の教会カンタータの大半は、残念ながら現存していません。クリーガーは宗教曲と共にヴァイセンフェルス宮廷のために世俗音楽を残しましたが、2つのトリオ・ソナタ集を出版しました。1688年出版の「2つのヴァイオリンと通奏低音のための12曲のソナタ」と1693年出版の「ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のための12曲のソナタ」です。今日は1693年のトリオソナタから第2番の「ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ニ短調op.2-2」でクリーガーの音楽に接して頂けますと幸いです。
(作曲家解説文 : 中田 聖子)


「記憶の彼方からの響き Vol.3 - from Memory of Germany -」
2013/07/20 伊丹アイフォニックホール小ホール

バロック・ヴァイオリン 河内 知子
ヴィオラ・ダ・ガンバ 中西 歩
チェンバロ 中田 聖子

- Program -

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685 - 1750)
「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021」
Sonata für Violin und Basso Continuo, G-dur, BWV1021
1.アダージョ Adagio 2.ヴィヴァーチェVivace 3.ラルゴ Largo 4.プレスト Presto


ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685 - 1750)
「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903」
Chromatische Fantasie und Fuge, d-moll, BWV903
1. ファンタジア Fantasia   2. フーガ Fuga


ゲオルク・フィリップ・テレマン Georg Philipp Telemann (1681 - 1767)
「ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタ イ短調 TWV41:a6」
Sonata für Viola da Gamba und Basso Continuo, a-moll TWV41:a6 [Essercizii Musici]
1.ラルゴ Largo 2.アレグロ Allegro 3.ソアヴェSoave 4.アレグロAllegro


ゲオルク・フィリップ・テレマン Georg Philipp Telemann (1681 - 1767)
「無伴奏ヴァイオリンの為のファンタジア 第5番 イ長調 TWV40:18」
Fantasie für Violin ohne Baß Nr.5 A-dur TWV40:18
1.アレグロ Allegro - プレスト Presto - アレグロ Allegro - プレスト Presro
2.アンダンテ Andante  3.アレグロ Allegro


ディートリヒ・ブクステフーデ Dietrich Buxtehude (ca.1637 - 1707)
「ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ(の通奏低音)の為のトリオソナタ ニ短調op.1-6, BuxWV257」
Suonate für Violin, Viola da gamba und Cembalo, d-moll, op.1-6, BuxWV257 (1694 ?)
1. グラーヴェ Grave - アレグロ Allegro
2. コン・ディスクレチオーネ Con discrezione - [ ] - アダージョAdagio - [ ] - アダージョAdagio
3. ヴィヴァーチェVivace - アダージョ Adagio
4. ポーコ・プレストPoco Presto - プレストPresto - レント Lento


ヨハン・フィリップ・クリーガー Johann Philipp Krieger (1649 - 1725)
「ヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ニ短調 op.2-2」
Suonate für Violin, Viola da Gamba und Basso Continuo, d-moll, op.2-2 (1693)
1. アンダンテ Andante - ラルゴ Largo  
2. プレスト Presto - ラルゴ Largo
3.アリア Aria d' Inventione


2011.12.18開催 中田聖子チェンバロリサイタル VOl.9 --Art of J.S.Bach V --
「J.S.バッハのチェンバロ独奏協奏曲とゴルトベルク変奏曲」プログラムノート

 今回で9回目のリサイタルですが、チェンバロ奏者として初めて演奏させて頂いてから今年で10年目に入りました。節目の年であることもあり、チェンバロの道へと私を歩ませた作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach( 1685-1750)の遺した作品のみでプログラムを組ませて頂きました。前半はチェンバロ独奏用協奏曲を3曲。自然災害による悲しいことの多かった2011年ですが、彼の独奏協奏曲のチェンバロ・サウンドで楽しい気分になって頂けますと幸いです。後半は「ゴルトベルク変奏曲」に取り組ませて頂きます。協奏曲とは異なる種の二段鍵盤を駆使した響きと、彼の作曲・演奏技術に想いを馳せて頂けますと嬉しいです。前半が短く、後半が少々長い演奏会となりますが、どうぞお楽しみください。

「J.S.バッハのチェンバロ独奏協奏曲」
 前半の2つの作品名を御覧になられて(或いは曲を聴かれて)「あれれ?」と思われた方がいらっしゃるかもしれしません。オール・J.S.バッハ・プログラムの筈なのに、アントニオ・ヴィヴァルディAntonio Vivaldi (1678-1741)の曲、アレッサンドロ・マルチェロAlessandro Marcello (1684-1750)の曲が混じっています。しかし、今日私が使用している楽譜はJ.S.バッハの手による形と伝えられているものです。
 J.S.バッハの遺した作品の中には、他者の協奏曲を原曲とするものが存在します。今日演奏するBWV978を含めて、A.ヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感 op.3」を原曲とする鍵盤独奏用協奏曲が5曲(チェンバロ用3曲とオルガン用2曲)、同じくA.ヴィヴァルディのop.4の協奏曲集に基づくチェンバロ用独奏協奏曲が2曲と、op.7に基づくものが2曲(チェンバロ独奏用とオルガン独奏用が1曲ずつ)。そして「4台のチェンバロ協奏曲 BWV1065」もA.ヴィヴァルディの「調和の霊感 op.3-10」が原曲であることはよく知られています。A.ヴィヴァルディの作品に基づくものが最多ですが、他に、今日演奏するA.マルチェロのオーボエ協奏曲に基づくBWV974と、その弟B.マルチェロBenedetto Marcello (1686-1739)とジュゼッペ・トレッリGiuseppe Torelli (1658-1709)による各々ヴァイオリン協奏曲に基づくチェンバロ独奏用協奏曲が1曲ずつ。そして、イタリアの作曲家だけでなく、テレマンの協奏曲に基づくものが1曲とワイマール公子ヨハン・エルンスト Johann Ernst (1696-1715)の手による協奏曲によるものが4曲、そして同一グループの作品とみられるが原曲不明のものが2曲存在します。
 J.S.バッハは生涯を通しドイツ各地の教会や宮廷の職務に就きましたが、1708年から1717年を過ごしたヴァイマールでの仕事の中に、この一連の他者の協奏曲に基づく鍵盤用独奏協奏曲(BWV1065を除く)があったと伝えられています。原曲協奏曲の作者の一人でもある若い公子ヨハン・エルンストは、丁度J.S.バッハがヴァイマール宮廷に使えていた頃にあたる1711年から1713年にかけて、当時のドイツ貴族の習慣に従い教養のための留学でオランダのユトレヒト大学に出掛けます。その際に、当時の音楽中心地の一つであったアムステルダムにも立寄り、オランダに入ってきていた最新の音楽に触れてきたと考えられています。その時期の宮廷の出納帳には大量の楽譜に関わる出費記録があり、恐らくロヘ(Roge : 今日「ロジェ」と読んでいるが現地蘭語では「ロヘ」)から出版されたA.ヴィヴァルディをはじめとする当時のイタリアの作曲家たちの楽譜や筆写譜を持ち帰ったのではないか、と考えられています。又、当時のアムステルダムでは、協奏曲の類いの曲を鍵盤楽器で演奏出来ることがヤン・ヤコプ・デ・グラッフ Jan Jakob de Graff (ca1672-1738)によって実証されていた記録があります。その演奏にエルンスト公子が触れた可能性が高く、彼の師であったヨハン・ゴットフリート・ヴァルターJohann Gottfried Walther (1684-1748)とJ.S.バッハに「協奏曲に基づく鍵盤独奏用協奏曲」つまり鍵盤独奏用への編曲を依頼したのではないか? と考えられています。
 今日演奏するA.ヴィヴァルディとA.マルチェロの作品に基づくBWV.978と974は、大きな改変はないものの、随所にチェンバロ独奏用への工夫が見られ、単なる一人の鍵盤奏者の指で演奏可能にする書き換えではなくチェンバロで原曲の響きが出しやすいような音形、そして、合奏表現を出そうとする為の音形へと書き換えられています。原曲を御存知の方は、そんな細かな違いを探して頂く楽しみもあるかしら...と思います。私自身は、そういった彼の編曲技法から、彼のチェンバロ独奏で可能だった表現を探ることは出来ないかしら...と思いながら、演奏に臨ませて頂こうと思っております。
 前半の最後に演奏する「イタリア協奏曲」と呼ばれている作品(BWV.971)は、この一連の「他者の協奏曲に基づく鍵盤独奏用協奏曲編曲」が作曲動機の一つになったのではないか、と言われています。この曲では、f(フォルテ)とp(ピアノ)の記述し、二段鍵盤チェンバロの持つカプラー機能を用いて上下鍵盤を指定することによって、オーケストラのトゥッティ(全員奏)とソリストの部分の対比を表現していることで有名です。しかし、前者の編曲群のチェンバロ独奏協奏曲には、この指定のあるものはなく、主に工夫された音形によってそれらの対比が描かれています (むろん、イタリア協奏曲で求められる対比表現を用いて演奏することも一つの方法として考えられます)。そういった彼の「イタリア(趣味による)協奏曲」との書かれ方の違いも、お楽しみ頂ければ幸いです。


「ゴルトベルク変奏曲 BWV.988」(クラヴィーア練習曲集 第4部 1741年刊)
 原題は「二段鍵盤チェンバロのためのアリアと種々の変奏」で、初版譜にも1974年にストラスブールで発見されたバッハの私蔵保存本にも「ゴルトベルク」という言葉は見られません。「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれるようになった有名な逸話は御存知の方も多いと思います。それは1802年に出された音楽家ヨハン・ニコラウス・フォルケル Johann Nikolaus Forkel (1749-1818)のJ.S.バッハに関する評伝「バッハの生涯と芸術 Über Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke -- Für patriotische Verehrer echter musikalischer Kunst --」にある『ザクセン選帝侯宮廷駐在前のロシア大使カイザーリンク伯爵は、しばしばライプツィヒに滞在したことがあり、(才能ある少年ヨハン・ゴットリープ・)ゴルトベルクをバッハの元で音楽を習わせようと連れてきた。伯爵は病気がちで、よく不眠に陥った。伯爵の家に住んでいたゴルトベルクは...(中略)...伯爵の寝付かない間、何かを弾いて聴かせなければならなかった。ある時伯爵はバッハに向かって、自分が眠れない晩に...(中略)... (聴く為の)クラヴィーア曲を幾つか、ゴルトベルクのために作って欲しいものだ、と言った。』(柴田治三郎 訳 / 括弧内は中田聖子補筆) というもので、この少年のためにバッハが書いた変奏曲が「ゴルトベルク変奏曲」であったという逸話です。カイザーリンク伯爵は、J.S.バッハが宮廷作曲家の称号を得る際に力添えした人物でしたが、こういった逸話が真実であれば恐らく出版譜の序文にその記述があると考えられるため、疑問視されています。しかし、この大作は、不眠症で眠れぬ夜の気を紛らわせるには十分に役割を果たす作品のようにも思います(決して子守歌のような類いのものではなく、夜の長い時間を楽しく過ごすには相応しい作品であると私は考えています)。
 バスの「G Fis E D H C D G」のテーマを元に、サラバンドの形でアリアがまず提示され、このバスのテーマに基づく、あらゆる変奏の形での30の変奏曲で構成されています。変奏曲は3つの変奏で1つのグループになっており、1つめが自由な変奏、2つめが「触れる」意の「トッカータ」と解釈されるデュエット、3つめにカノンが登場するパターンで「3曲×10組」で30の変奏曲を構成しています。カノンは「同度のカノン」(第3変奏)から順次上行して「9度のカノン」(第27変奏)が登場します。10組目の3つめ、即ち最後の第30変奏にはカノンではなく「クォドリベット」が置かれています。クォドリベットは、好みの世俗歌(流行歌)の旋律の幾つかを順番にあるいは同時に歌って即興的なハーモニーを作り出すものですが、第30変奏のクォドリベットではドイツの2つの民謡『キャベツとかぶらが私を追っ払った』と『久しくお前に会わぬ、こっちへ来いよ、来いよ』の旋律が登場します。その後、アリアが再び登場して締めくくられます。
 又、第16変奏がフランス風序曲で書かれており、これによって30の変奏が半分の15ずつに二分して配置され、アリアと変奏の全ての楽章が二部形式で書かれていることと共にシンメトリー構造になっていると解釈することも出来ます。
 フランスの作曲家からの伝統を受け継ぐ舞曲の形式、そして北ドイツの伝統の対位法の書法など、J.S.バッハのチェンバロ作品に見られるあらゆる要素が「ゴルトベルク変奏曲」には集約されていることを感じながら、この大作に臨みたく思います。聴き手にも「大曲」であると思いますが、冬の夜を楽しんで頂ける時間になれば幸いです。
 (プログラムノート・曲目解説 : 中田 聖子 )


2011.12.18 (ノワ・アコルデ音楽アートサロン5周年記念エボリューションコンサート)
中田聖子チェンバロリサイタル VOl.9 --Art of J.S.Bach V --
「J.S.バッハのチェンバロ独奏協奏曲とゴルトベルク変奏曲」

J.S.Bach's "Concerto for Harpsichord solo"
and "Goldberg Variations"

・A.ヴィヴァルディの協奏曲RV.310に基づくチェンバロ独奏用協奏曲ヘ長調 BWV.978
 Concerto, F-dur BWV978 nach dem Concerto, G-dur, op.3 Nr.3 (RV310)
 für Violine, Streicher und Basso Conctinuo von Antonio Vivaldi
 第1楽章:アレグロ  第2楽章:ラルゴ  第3楽章:アレグロ
 I. Allegro  II. Largo III. Allegro


・A.マルチェロのオーボエ協奏曲に基づくチェンバロ独奏用協奏曲 ニ短調 BWV.974
 Concerto, d-moll, BWV.974 nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
 第1楽章:アンダンテ  第2楽章:アダージョ  第3楽章:プレスト
 I. Andante  II. Adagio  III. Presto


・イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV.971
 Concerto, F-dur BWV.971
 第1楽章   第2楽章 : アンダンテ  第3楽章 プレスト
 1st mov. II. Andante III, Presto


・ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
 "Goldberg Variationen"
Aria mit verschiedenen Veränderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen. BWV.988

 アリア [テーマ] Aria
 第1変奏(1段鍵盤)"ポロネーズ" Variatio 1, a 1 Clav. "Polonaise"
 第2変奏(1段鍵盤) Variatio 2, a 1 Clav.
 第3変奏(1段鍵盤)「同度のカノン」 Variatio 3, a 1 Clav. Canone all' Unisuono
 第4変奏(1段鍵盤)"パスピエ" Variatio 4, a 1 Clav. "Pasppied"
 第5変奏(1段又は2段鍵盤) Variatio 5, a 1 ovvero 2 Clav.
 第6変奏(1段鍵盤)「2度のカノン」Variatio 6, a 1 Clav. Canone alla Seconda
 第7変奏(1段又は2段鍵盤)ジーグのテンポで Variatio 7, a 1 ovvero 2 Clav. al tempo di Giga
 第8変奏(2段鍵盤) Variatio 8, a 2 Clav.
 第9変奏(1段鍵盤)「3度のカノン」Variatio 9, a 1 Clav. Canone alla Terza
 第10変奏(1段鍵盤)フーゲッタ Variatio 10, a 1 Clav. Fughetta
 第11変奏(2段鍵盤) Variatio 11. a 2 Clav.
 第12変奏「4度のカノン」Variatio 12, Canone alla Quarta
 第13変奏(2段鍵盤) Variatio 13, a 2 Clav.
 第14変奏(2段鍵盤) Variatio 14, a 2 Clav.
 第15変奏(1段鍵盤)「5度のカノン」アンダンテ Variatio 15, a 1 Clav. Canon alla Quinta, Andante

 第16変奏(1段鍵盤) ウーヴェルチュール Variatio 16, a 1 Clav. Ouverture
 第17変奏(2段鍵盤) Variatio 17, a 2 Clav.
 第18変奏(1段鍵盤)「6度のカノン」 Variatio 18, a 1 Clav. Canone alla Sesta
 第19変奏(1段鍵盤) Variatio 19, a 1 Clav.
 第20変奏(2段鍵盤) Variatio 20, a 2 Clav.
 第21変奏「7度のカノン」Variatio 21,Canone alla Settima
 第22変奏(1段鍵盤)アラ・ブレーヴェ Variatio 22, a 1 Clav. Alla breve
 第23変奏(2段鍵盤) Variatio 23, a 2 Clav.
 第24変奏(1段鍵盤)「8度のカノン」 Variatio 24, a 1 Clav. Canone all' Ottava
 第25変奏(2段鍵盤)アダージョ Variatio 25, a 2 Clav. Adagio
 第26変奏(2段鍵盤) Variatio 26, a 2 Clav.
 第27変奏(2段鍵盤)「9度のカノン」 Variatio 27, a 2 Clav. Canone alla Nona
 第28変奏(2段鍵盤) Variatio 28, a 2 Clav.
 第29変奏(1段又は2段鍵盤)Variatio 29, a 1 ovvero 2 Clav.
 第30変奏(1段鍵盤)クォドリベット Variatio 30, a 1 Clav. Quodlibet
 アリア・ダ・カーポ Aria da capo e fine

使用楽器 : 久保田彰氏 製作 フレミッシュ二段鍵盤 チェンバロ
Instrument : Flemish double manual harpsichord, after Ruckers. Akira Kubota
Tune: 1/6 PC ( Pitch : a' =415Hz)
調律: 佐久間 朋子 Tomoko Sakuma

2013.06.19開催 ムジークフェストなら2013' 秋篠寺コンサートのプログラムノートとして書いたものです。

「J.S.バッハのチェンバロ音楽」ーJ.S.バッハの3つの作曲スタイルー 中田 聖子 Seiko NAKATA

 本日はコンサートにお越しくださり、ありがとうございます。バロック時代に活躍した鍵盤楽器チェンバロの作品として特に知られているものはJ.S.バッハの作品だと思います。今回のムジークフェストなら2013' 秋篠寺での演奏にあたり、たっぷりJ.S.バッハの曲をお聴き頂こうと、本日はオールJ.S.バッハ・プログラムを組ませて頂きました。又、バッハの3つの作曲スタイルを御紹介したく選曲しております。3つのスタイル、即ち、1つは北ドイツの先人作曲家達から受け継いだ厳格な対位書法のスタイル、2つ目はイタリアから影響を受けた協奏曲のスタイル、3つめはフランスからの影響を受けた舞曲のスタイルです。

1. トッカータニ長調 BWV912  Toccata D-dur, BWV912 [対位書法のスタイル]
 バッハの曲と言えば、オルガンのトッカータとフーガのジャンルの作品が鍵盤曲ではよく知られていると思いますが、チェンバロ用のトッカータも数曲残っています。その中から今日はニ長調のトッカータBWV912を選曲致しました。面白いことに、このトッカータBWV912のファンファーレのような冒頭は「オルガンのためのプレリュードとフーガ ニ長調BWV532」のプレリュードの冒頭とよく似ています。BWV912のトッカータは、6つの部分から構成されている、と考えることが出来ます。先述の冒頭部分、そしてアレグロのリズミカルな対位書法の部分、3つ目がアダージョのレチタティーヴォ風の部分、そして続く美しいフーガの部分、再びレチタティーヴォ風の部分が登場し、ジーグのダンスのリズムで書かれたフーガの部分で締めくくられます。1曲の中に登場する様々な部分に耳を傾けて頂けますと幸いです。


2. イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 Italianisches Konzert F-dur, BWV971 [協奏曲のスタイル]
 チェンバロ曲で最も知られている曲は、もしかしたらこの「イタリア協奏曲」かもしれません。正しい原題は「イタリア趣味による協奏曲」。バッハがヴァイマールの宮廷に仕えていた頃に行なった、A.ヴィヴァルディやA.マルチェロらイタリアの作曲家達の器楽協奏曲のオルガンやチェンバロ独奏用への編曲仕事がヒントとなり、この曲が書かれたのではないか、と考えられています。チェンバロ作品の多くにはレジスター(弦の本数を選択する機能)の指定が書かれていませんが、この曲には「f 」と「p 」が書かれており、「f 」では二本以上の弦を使用して演奏、「p 」では1本の弦で演奏することを示していると解釈されています。これによって、協奏曲のトゥッティ(全体合奏)とソロ(独奏)の対比を表現するように作られた作品である、と考えられています。第1楽章と第3楽章では二段鍵盤の上下鍵盤を行き来して演奏します。鍵盤や私の手元が見える位置に座られている方は、是非上下鍵盤の使用にご注目ください!


3. A.マルチェロの協奏曲に基づくチェンバロ独奏の為の協奏曲 ニ短調 BWV974[協奏曲のスタイル]
 Concerto d-moll, BWV974 nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
 「イタリア協奏曲」の作曲着想となったと考えられている協奏曲編曲群の中から、この曲を選曲しました。ヴァイマールでの協奏曲編曲について少し詳しくお話致しますと、バッハがヴァイマール宮廷に仕えていた時のこと、君主の甥ヨハン・エルンスト公子が留学先のオランダで出版されたA.ヴィヴァルディの「調和の霊感」をはじめとするイタリアの器楽協奏曲の楽譜を持ち帰ってきました。当時はイタリアやフランスが音楽の流行を牽引しており、A.ヴィヴァルディ、A.マルチェロ、B.マルチェロ、G.トレッリらの協奏曲は最先端の音楽でした。エルンスト公子はアムステルダムで、器楽協奏曲をオルガン1台だけで演奏するJ.J.de グラッフ(Jan Jakob de Graff 1672-1738)の演奏を聴いたらしく、鍵盤楽器1台での協奏曲演奏に興味を持ちました。そこで、師のヴァルター(Johann Gottfried Walther 1684-1748)とバッハに、持ち帰った協奏曲の鍵盤独奏用編曲を依頼した、と伝えられています。こうして書かれたのがバッハの17曲の「チェンバロ独奏用協奏曲 BWV972-987, 592a」と6曲の「オルガン独奏用協奏曲 BWV592-297」です。今日演奏する協奏曲BWV974は、アレッサンドロ・マルチェロ(Alessandro Marcello 1684-1750)のオーボエ協奏曲を原曲としています。このような経緯で書かれた協奏曲ですので、通常協奏曲に登場する弦楽合奏を伴わない、チェンバロ独奏用協奏曲として書かれています。


4. 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903 Chromatiche Fantasie und Fuge d-moll, BWV903 [対位書法スタイル]
 この曲もまたバッハの鍵盤曲の代表作として挙げられる曲だと思います。印象的なパッセージで始まる幻想曲と、「A B H C CH C (続)」の半音階進行のテーマで書かれるフーガ。フーガを代表する対位書法の作品では、バッハは北ドイツの先人作曲家の影響を強く受けています。その17世紀の北ドイツの作曲家たちに強い影響を与えていた作曲家にネーデルランドのJ.P.スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck1562-1621)がいました。スウェーリンクもまた「半音階的幻想曲」を残しています。先達の作品をよく研究していたらしいバッハ、彼の作品に何らかの着想があったのかもしれません。
 ところで、20世紀に入る迄、コンサートで演奏される作品の多くはその時代の作曲家の作品でした。19世紀もまたそうで、バッハをはじめとするバロック時代の作品は殆ど演奏される機会がなかったと伝えられています。しかし、バッハのこの「半音階的幻想曲とフーガ」だけは19世紀にも人気が高かった、という話も伝わっています。

5. フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814 Französischen Suite III h-moll, BWV814 [フランス舞曲スタイル]
 バッハは17世紀フランスの舞曲組曲から影響を受けた作品を多数残しています。その代表が「6つのフランス組曲 BWV812-817」と呼ばれる組曲集です。チェンバロは弦を撥いて音を出す撥弦鍵盤楽器ですが、17世紀フランスのチェンバロ作品では、バッハも好んでいた撥弦楽器であるリュートのつまびきの模倣や分散奏法が取り入れられ、より撥弦の特徴を行かしたものが数多く書かれました。バッハの「フランス組曲」にはこうしたニュアンスが取り入れられており、「フランス趣味」で書かれた組曲である、と考えることが出来ます。バッハのチェンバロの為の組曲集には「6つのパルティータ」「イギリス組曲」「フランス組曲」の3曲集がありますが、中でも最も撥弦楽器の特徴を生かしたスタイルの作品がこの「フランス組曲」であると思います。
 組曲は、幾つかの舞曲で構成される作品です。今日演奏する第3番は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット、メヌエット と トリオ、ジーグの6つの舞曲で構成されています。最後に簡単に第3番に登場する舞曲について記しておきます。

・アルマンド: ドイツ伝統の4拍子の舞曲で、男女のペアが腕を様々な形を組んで踊ったものでした。
・クーラント: イタリア様式のもの(コレンテ)とフランス様式のものがありますが、フランスのものは3拍子系の舞曲で、17世紀迄は貴族に愛された舞曲でした。
・サラバンド: スペイン起源とされる3拍子を基本とする舞曲で、ルイ14世の時代には情熱的なエネルギーを秘めつつも荘重な舞曲として踊られたものでした。
・ガヴォット: 4拍子系の舞曲で、時代を経ると共に他の舞曲が変遷し、テンポや性格さえ変わってしまったものがあったにも関わらず、常に跳躍を含んで踊られた舞曲です。?
・メヌエット: 宮廷舞踊の花形として長きに渡って踊られたバロック宮廷舞踏を代表する舞曲。男女ペアで踊る舞曲で、少なくとも18世紀末まで踊られ続け、後にはワルツへと発展していきました。?
・ジーグ : イギリス起源の跳躍を多く含む舞曲。バロック時代には最も人気があった舞曲だと伝えられています。

( 曲目解説 : 中田 聖子 )

使用楽器 : 久保田彰 2002年製作 リュッカースモデル 二段鍵盤チェンバロ
調律法 : a'=415Hz 1/6PC


「J.S.バッハのチェンバロ音楽」
(オール・J.S.バッハ・プログラム)

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

トッカータ ニ長調 BWV912 Toccata D-dur, BWV912

イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
第1楽章 / 第2楽章 アンダンテ / 第3楽章 プレスト
Italianisches Konzert F-dur, BWV971
I. / II. Andante / III. Presto

A. マルチェロの協奏曲に基づくチェンバロ独奏の為の協奏曲 ニ短調 BWV974
第1楽章 アンダンテ / 第2楽章 アダージョ / 第3楽章 プレスト
Concerto d-moll, BWV974
nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
I. Andante / II. Adagio / III. Presto

半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
Chromatiche Fantasie und Fuge d-moll, BWV903

フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814
アルマンド / クーラント / サラバンド / ガヴォット / メヌエット - トリオ / ジーグ
Französischen Suite 3 h-moll, BWV814
Allemande / Courante / Sarabande / Gavotte / Menuet - Trio / Gigue

チェンバロ 中田 聖子 Seiko Nakata

2013.05.25開催「J.S.バッハへの憧憬」公演 プログラムノート by 中田 聖子

『バッハのトリオ・ソナタ術』

 バッハとリコーダー
 リコーダー1本とチェンバロでヨハン・セバスチャン・バッハの音楽を奏でようと思いますと、オリジナル曲が残存していない為、何らかの彼の作品をアレンジするという方法になります。そこで本公演では「オルガンの為のトリオ・ソナタ」「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」「リュートの為のパルティータ」から計4曲を選曲し、プログラムを組むことに致しました。
 18世紀まで「フラウト Flauto笛」と言えば、縦笛のリコーダーのことでした。現在「フルート」として誰もが思う横笛については「フラウト・トラヴェルソ Frauto Traverso 横笛」、つまり、わざわざ「横向きの笛」と呼んでいました。しかし、18世紀に入り次第にフラウト・トラヴェルソがヨーロッパ各地の宮廷で流行し始め、バッハの時代ではリコーダーは既に「古い楽器」となっていたようです。バッハがリコーダーの為のソロ作品を残していない1つ理由には、そういった時代背景があると考えられています。しかし、バッハは「ブランデンブルグ協奏曲」第2番と第4番、又、その第4番を原曲とする「チェンバロ協奏曲 ヘ長調 BWV1049」、そしてミュールハウゼン時代の初期のカンタータである「神の時こそ最上の時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Actus tragicus) BWV106」やワイマール時代の「狩のカンタータ(楽しき狩こそ我が悦び Was mir behagt, ist nur die muntre Jagd! ) BWV208」、ライプツィヒ時代の「マニフィカト」の初稿(BWV243a)や「マタイ受難曲」など、現在確認されているだけでも25曲のカンタータ、つまり、協奏曲とカンタータのジャンルにおいてリコーダーを用いています。彼はこのような大編成作品の中でリコーダーを用いることを好み、そういった用法においてリコーダーを生かすことに長けていたのかもしれません。


 バッハのソナタ と オブリガートチェンバロ付きソナタの誕生
 バロック時代のソナタの多くは、旋律楽器のパートと通奏低音パートの編成で書かれていました。「旋律楽器と通奏低音のためのソナタ」の楽譜は、例えば下記のJ.S.バッハの「ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ ホ短調BWV1023」の譜面のように、ヴァイオリンのパートとバスのパートで書かれているのですが、バスのパートには数字が付されています。これを数字付低音譜と呼び、チェンバロやオルガン、リュートなどの和音楽器の通奏低音パートはこの楽譜を見て演奏します。数字はコードネームのようなもので、一定のルールに従ってバス旋律に和音を補充し、時には数字を元にオーナメントも加えて演奏します。つまり、通奏低音パートを担当する際のチェンバロ奏者の右手の音や左手の内声音は即興によって演奏していきます。



↑J.S.バッハの「ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ ホ短調BWV1023」第2楽章のマニュスクリプト


しかし、バッハの旋律楽器1本のソナタには、通奏低音伴奏付きのこの種のソナタの他に、もう2種類ありました。1つは無伴奏のソナタ、もう1つは「オブリガート・チェンバロ付きのソロ・ソナタ」です。バッハは、通奏低音演奏において右手で新しい旋律声部を作り出すことを好み、又、その旋律声部は新たな対位法で彩るかのようなものであった、と伝えられています。つまり、バッハが通奏低音を担えば、ソロ・ソナタは事実上トリオ・ソナタとなっていた、と考えることが出来ます。この彼自身の演奏習慣は、新たな形のソナタを生み出したようです。新たな形のソナタ、即ち、旋律楽器奏者とチェンバロ奏者の二人で3つの旋律を奏でる「オブリガート・チェンバロ付きのソロ・ソナタ」です。この種のソナタでは、チェンバロの右手の旋律が記され、右手は旋律楽器奏者とデュオを奏で、チェンバロの左手でバス旋律を奏でます。バッハのこの種のソナタの作曲過程を示すものとしては、「2本のフルートと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ト長調BWV1039」が改作され書かれた「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタ ト長調 BWV1027」でしょう。彼はヴィオラ・ダ・ガンバの作品の他、フラウト・トラヴェルソ、そしてヴァイオリンの作品も6曲この形で残しています。本日はこの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」から二曲を選択して演奏致します。


ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ
 6曲のオブリガート・チェンバロ付きのヴァイオリン・ソナタ(BWV1014-1019)は、音楽好きの君主アンハルト・ケーテン侯レオポルトの宮廷楽長として仕えていたケーテン時代の1717年に初稿が書かれました。ケーテン時代には、「管弦楽組曲」「ブランデンブルグ協奏曲」「フランス組曲」、そして、多くの協奏曲が書かれ、音楽好きの君主の元で沢山の世俗音楽を書いたと考えられています。しかし、幼少期にルター正統派の厳格な教育を受けた彼に対し、カルヴァン改革派に属していた領主の元ではカンタータを書くことが極端に少なかった為、必然的な作曲活動であったのかもしれません。


「ソナタ 変ホ長調 BWV.1019」(原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019)
 プログラム順ではなく、2曲目に演奏する「ソナタ 変ホ長調BWV.1019」からお話致しますが、これは「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019」をアレンジしたものです。第6番のソナタはケーテンで初稿が書かれた後、少なくとも二度書き直されており、本日は最終稿を変ホ長調に移調して演奏致します。
 初稿は「1.プレスト 2.ラルゴ 3.カンタービレ 4.アダージョ 5.プレスト(1楽章と同一)」という楽章構成でしたが、3楽章と4楽章は今日演奏する最終稿とは全く別の音楽でした(初稿=BWV.1019a)。その後、第2稿がバッハの最後の土地となるライプツィヒで書かれ (1731年より以前に書かれたと考えられる)、「1.ヴィヴァーチェ(音楽はそのまま) 2.ラルゴ(初稿と同じ) 3.チェンバロ独奏(最終稿とは異なる) 4.アダージョ(初稿と同じ) 5.ヴァイオリンと通奏低音(ヴァイオリンパート消失) 6.ヴィヴァーチェ (1楽章と同一)」に変更されます。そして最終稿とされる第3稿は「1.アレグロ (音楽は初稿・2稿のまま) 2.ラルゴ(初稿・2稿のまま) 3. チェンバロ独奏曲(New) 4.アダージョ(New) 5.アレグロ(New)」で、3楽章以降が新たなものに変更されました。
 チェンバロ独奏曲が挿入されている珍しい構成ですが、このチェンバロ独奏曲を軸に、1楽章と5楽章が同一調、2楽章が1楽章の平行調で、この2楽章に対して4楽章が属調で書かれ、調シンメトリーの構造になっています。シンメトリー構造は初稿からの発想のようです。又、6つの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の内、第1番から第5番は4楽章構成で「緩 - 急 - 緩 - 急」の教会ソナタ形式をとっているのに対し、この第6番のみが5楽章構成で「急 - 緩 - 急 - 緩 - 急」の形式であることも注目すべき点でしょう。
 ところで、バロック期の時代の作品において主として用いられたリコーダーはアルト・リコーダーでしたが、今日はこの曲をソプラノ・リコーダーで演奏します。そのため、私たちは変ホ長調へ移調して演奏致します。

「ソナタ ヘ長調 BWV.1016 」(原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016)
 3曲目に演奏する「ソナタ ヘ長調 BWV.1016」も原曲は「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016」です。先に述べましたように、オブリガート・チェンバロ付きソナタでは、チェンバロの右手に旋律が書かれ、旋律楽器とデュオを奏でて行きます。その殆どがフーガ風の書法で書かれています。しかし、第3番の1楽章では、左手にはオクターヴ・バスが書かれ、その上の右手は終始 三和音を基本として書かれています。こういった書かれ方のものは、6つの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の中では他にありません。彼のこの種のソナタにおいて、部分的に数字付低音譜(あるいは数字が省略されて書かれている通奏低音)が現れますが、この1楽章のチェンバロ・パートは「リアライズされた(書き出された)通奏低音」ではないか、と私は見ています。これがもし本当に「バッハのリアライズされた通奏低音」なのであれば、バッハの通奏低音奏法の1つの手がかりとなるかもしれません。

 バッハの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」
「ソナタ ヘ長調 BWV.529」 (原曲 : オルガンの為のトリオソナタ第5番ハ長調 BWV.529)

 2本の旋律とバス旋律を二人の奏者で演奏する「旋律楽器とオブリガート・チェンバロの為のソナタ」を残したバッハですが、更にこれを一人で演奏する形で書いたものを残しました。即ち、二つの手鍵盤とペダル鍵盤を独立的に使って演奏する6つの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」BWV525-530です。バッハの作曲家としての円熟期であった1727年頃(ライプツィヒ時代) に書かれたこの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は、バッハの長男と次男の証言を元にしたJ.N.フォルケル著の伝記( Johann Nikolaus Forkel "Uber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke 『J.S.バッハの生涯と芸術と作品について』Leipzig1802) によれば、長男ウィルヘルム・フリーデマン・バッハの為に作曲し、この作品によって長男は偉大なオルガニストになるべく稽古させられたそうです。実際、長男はのちにそのようなオルガニストになります。バッハの自筆譜が残っていますが、その筆跡は浄書でも作曲中の走り書きでもありません。その筆跡の様相と、本日は演奏しませんが、第4番の1楽章はカンタータ76番が原曲であることなどから、「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は、何らかの原曲(あるいは断片)を元に、移調や大幅な改変を行いながら書いたのではないか、と考えられています。「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の6曲中5曲が「緩 - 急 - 緩 - 急」の四楽章構成の伝統的な教会ソナタの形式で書かれていることを先にお話しましたが、「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」も同様の形式で書かれています。それに対し、「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は6曲全てが「急 - 緩 - 急」の三楽章構成のイタリアの協奏曲形式で書かれています。
 本日のコンサートは、「オルガンの為のトリオ・ソナタ 第5番ハ長調BWV.529」をアレンジした「ソナタ ヘ長調BWV.529」で幕開けさせて頂きます。
 余談ですが、バッハの弟子たちの多くは優れたオルガニストとなりました。そして、作曲にも長けていた者の中には、彼のオルガン・トリオ・ソナタを受け継ぐ作品を残した人もいました。特にエルフルトのオルガニストとして活躍したヨハン・クリスチャン・キッテル(1732-1809)は「オルガン・トリオの作曲家」でもありました。

 バッハとリュート
 長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハによる「バッハの遺産目録」というものが残っています。そこには鉱山株から金貨・銀貨、銀食器に至るまでこと細かに記されているのですが、当然楽器についても記載があります。
 「チェンバロ5台、リュート・チェンバロ 2台、ヴァイオリン2台、ピッコロ・ヴァイオリン1台、ヴィオラ3台、バセットヒェン(ピッコロ・チェロ) 1台、チェロ1台、ヴィオラ・ダ・ガンバ1台、スピネット1台、リュート1台」
 優れた鍵盤奏者だったバッハが多くのチェンバロと小型チェンバロであるスピネットを持っていたことは当然のことでしょう。又、長兄ヨハン・クリストフ・バッハの元で育った頃、オールドルフで学校カントルからヴァイオリンとヴィオラを学び、ヴァイマールのヨハン・エルンスト公子の室内楽団ではチェンバロのほかヴァイオリンとヴィオラを受け持っていた、とフォルケルの伝記に書かれていることから、一通りの擦弦楽器を所有していたことも不思議ではありません。そして、バッハはこれらと共にリュートを持っていたのです。
 バッハの推薦でドレスデンのソフィア教会のオルガニストを長男がしていた頃のこと、彼がバッハの元にひと月ほど滞在した際、ドレスデンから有名なリュート奏者のシルヴィス・レオポルト・ヴァイス(1687-1750)とヨハン・クロポスガンス(1708-?) たちもやって来たことがありました。そして、バッハ家で大変優雅な音楽会が行われた、と伝えられています(バッハ家に居住していた姪のエリーアス・バッハの書簡に残る)。バッハは七曲のリュートの為の作品を残していますが、リュートの響きを大変好んでいたようです。遺産目録からリュートを所有していた事実が分かりますが、彼自身はリュート演奏があまり上手くなかったらしく、チェンバロのバフ・ストップ(リュート・ストップと呼ぶこともある。弦にフェルトあるいは皮を触れさせるストップでミュートがかかった音がする。その音はリュートの響きによく似ている) を使って、リュート風の響きを出して楽しんでいた、と伝えられています。又、遺産目録に「リュート・チェンバロ」という楽器がありますが、これはバッハが考案・設計した楽器のようで(残存しない為、どんな楽器であったか正確なことは分かっていない)、「ヒルデブラントというチェンバロ製作家に自らが設計した『リュート・チェンバロ』を作らせた」という記録が残っています。恐らく、バフ・ストップの響きよりも更にリュートに近い響きがする楽器であったと考えらますが、このことからも「リュートの響きへの憧れ」があったことが伺えるのではないでしょうか。

「組曲 ニ短調 BWV.997」 (原曲:リュートの為のパルティータ ハ短調 BWV.997)
 本公演プログラムは「リュートのためのパルティータ ハ短調 BWV.997」を元にした「組曲 ニ短調 BWV.997」で締めくくります。リコーダーとチェンバロで演奏するにあたって、バッハが残した旋律楽器1本とチェンバロで演奏出来る二つの形、即ち、「リコーダーと通奏低音」と「リコーダーとオブリガート・チェンバロ」の形にアレンジしています。1楽章のプレリュードは「リコーダーと通奏低音」の形で演奏致します。2楽章のフーガは三声のフーガで書かれていますので、それぞれの声部をリコーダー、チェンバロの右手、チェンバロの左手に分け、「リコーダーとオブリガート・チェンバロ」の形で演奏致します。3楽章のサラバンドと4楽章のジーグとドゥーブルは、「リコーダーと通奏低音」の形でお聴きください。

☆ 本公演で、J.S.バッハの「二人の奏者で演奏するトリオ・ソナタ術」を楽しんで頂ければ幸いです。(曲目解説 : 中田 聖子)


Concert Data
2013.05.25 at Anrieu Recordert Gallery, TAKEYAMA Hall アンリュウリコーダーギャラリータケヤマホール
Performer are Kayo Inoue 井上佳代 (Recorder) and Seiko Nakata 中田聖子 (Cembalo)
Tittle 「J.S.バッハへの憧憬」

Programme

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

・ソナタ ヘ長調 BWV.529 (原曲 : オルガンの為のトリオソナタ第5番ハ長調 BWV.529)
 Sonata, F-dur, nach dem Trio Sonata Nr.5 für Organ, C-dur, BWV 529 (ca.1727)
  I. アレグロ Allegro  II. ラルゴ Largo  III. アレグロ Allegro


・ソナタ 変ホ長調 BWV.1019 (原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019)
 Sonata, Es-dur nach dem Sonata VI für Violin und Obligato Cembalo, G-dur BWV.1019 (1717-23)
  I. アレグロ Allegro  II. ラルゴ Largo III. アレグロ(チェンバロ独奏) Allegro (Cembalo Solo)  IV. アダージョAdagio   V. アレグロ Allegro


・ソナタ ヘ長調 BWV.1016 (原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016)
 Sonata, F-dur nach dem Sonata III für Violin und Obligato Cembalo, E-dur BWV.1016 (1717)
 I. アダージョAdagio   II. アレグロ Allegro   III. アダージョ・マ・ノン・タント Adagio ma non tanto  IV. アレグロAllegro


・組曲 ニ短調 BWV.997 (原曲:リュートの為のパルティータ ハ短調 BWV.997)
Partita d-moll nach dem Partita für lute, c-moll, BWV.997 (1737-41)
 I. プレリュード Preludio  II. フーガFuga  III. サラバンドSarabande IV. ジーグとドゥーブル Gigue - Double

☆ 本記事は、あくまでも1奏者・1チェンバロ指導者の考察、否、雑感レヴェルであり、資料的価値はありません。

 あれこれ自分なりの考えがあり、通常のレッスンは小学生(厳密には小学3年生以上)からにしているのですが、先日ご要望を頂き、未就学児童の方々のグループレッスンを行ってきました。
 事前に皆さん「楽器の経験はなし」と聞いていたので(しかし子供達の反応からしてほぼ全員音楽初期教育経験はありと見ましたが)第1回はチェンバロに「正しく触れる」ということをテーマに臨ませて頂きました。
 今回の記事ではその内容については触れませんが...(あしからず)。
 初心者指導において、当然のことながら、大人、中学生以上の学生、小学生、それぞれ方法が違ってきます。前述3層の指導とは異なる点が多いだろう、と容易に想像がついていましたが、教育・指導面ではなく、チェンバロ奏法における大きな気付きがありましたので、(自分のメモ代わりに)記載します。

 子育て真っ最中の方にはごくごく当然のことだと思いますが、とにかく子供は手が小さい。筋肉も骨格も発達途中で体が小さいのだから、本当に当然のお話ですが。

 [蛇足 : よく手が小さいからピアノではなくチェンバロに...という声を聞きますが、その考えはもってのほか、そんな安易なことでチェンバロに転向しないでください。ピアノとチェンバロは異なる楽器です。実際には、そういった理由でチェンバロに転向され、才能も持ち合わせておられた為に立派な有能なチェンバリストになられた方もおられますが、「才能とご本人の努力があったから」であることをお忘れなく!]

 同様にまだ発達途中である小学生の指導中では全く思いもしなかったことなのですが、正しい手全体のフォームで鍵盤上に手を置かせると、3歳前後のお子様だと親指の指先が全くKeyに乗らない。左右全ての指を使ってチェンバロに触れて頂こうと思っていたのですが、悪しきであれば可能ですが、正しきフォームでは出来ない、ということが分かりました。一度体が覚えた誤りはなかなか修正出来ないことを身をもって経験してきておりますので(苦笑) 悪しき経験を避けて正しいフォームを保ったまま弾くことを考えますと、親指と小指を除く三指、つまりオールドフィンガリングで使用する人指し指、中指、薬指に限定されます。乳児(に近い)お子様の手は、内側の三指と外側の二指の長さの比率差が大人に比べてより顕著であるということは、チェンバロ奏法の理由を考える上で大きなキーかもしれません。
 ルネサンス、17世紀初期に限らず、18世紀に入ってからも内側三指を重視していたことをあちらこちらで読み取ることが出来ますし、多くの作品がそれを求めています。外側二指を派手に使用したと伝えられるJ.S.Bachの作品でさえ、その使用の吟味を要求すると思います。そういった点から、チェンバロ奏者としてオールドフィンガリングの重要性をよく分かっているつもりですが、この内側三指の重視について、今回気付きが多くありました。
 現在と異なり、鍵盤楽器といえばチェンバロ(含ヴァージナル)であり、オルガンであり、クラヴィコードであり... といったルネサンス・バロックの音楽家一族の子供達にとって初期教育も当然それらの楽器で行われていたのはまぎれもない事実で、現在の子供たちも物心つけばチェンバロに触れていたよ、で良い筈です(嗚呼! 何と恵まれた環境なの!!)。20世紀以降の音楽初等教育観(含・文科省提示の音楽科指導)からすると果たしていつからチェンバロに触れて頂いて良いのか、というモヤモヤとした部分もあり (私自身もずっと模索しているのですが)、当時一体何歳頃から教育が行われてきたのかが、知りたいところです。容易に想像出来ることは、音楽家一族においては家庭内教育が恐らく第一段階であったでしょうし、遊びの中で覚えたのだろう、ということですが....。そのヒントになるようなもの、例えば今のピアノのシステム教育のように幼年期用の楽譜だとすぐ分かるものがあれば良いのですが、皆無だと言える状況で(もっともそのようなシステム教育もなかったし、指南書はあってもテクニック本の観念がないのだから当然の話)、あれこれ常に疑問が付き纏います。
 しかし、手の骨格発達を待たずに鍵盤楽器を弾いて行くとしたら、且つ、手を壊すことなく弾いて行くとしたら、先述のように内側三指をまず使って行くことになったのではないか? そうして訓練を受けていく中で、外側二指よりも三指が器用になっていったのではないか? つまり、外側二指と内側三指の器用さの差は、20世紀以降の音楽教育観で形成されていく以上に大差があったのではないか?という想像出来るように思います。(→ バロック以前の運指が訓練上から説明がつく???)
 そして、内側三指が外側二指よりも器用であることが前提で曲が書かれて行くので、数百年後の鍵盤奏者が「オールド・フィンガリング」ということを考えなければならない (=雌鳥が先か卵が先か?のような話ですが)。
 つまり、20世紀以降生まれの人間には奇妙に思われる初期鍵盤楽器のフィンガリングも、ごくごく自然に発生したフィンガリングであることは乳児の手を見れば明らかだったんだ、と気付いた次第です。
[2013.01.23. Seiko Nakata]

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