7 juli 2008

言語と音楽の関連 : その1


演奏において、楽譜と向き合う際、常に考えていることがある。音符と言語との関連性である。音符は、言葉と同じ「相手に物事を伝えるための一つの道具」であると思っているのだが、音符を言葉に置き換えることが出来るか否か以前に、音符同士の構成や並びは言語と非常に密接であると思う。音楽修辞学という学問分野が存在するが、もっと単純・低次元なところで、リズムや「語り口」を見てみれば音符と言語が密接な関係にあるのは一目瞭然だ。

解りやすいところで言うと、日本語が常に「子音+母音」の連続による「子音+母音+子音+母音+・・・・・・+子音+母音」であるのに対して、ヨーロッパの言語は必ずしも「子音+母音」の連続ではない。そのことに、ちょっと気をつけてみるだけでも、楽譜の読み方は変わる。又、楽譜を読んで行くと、前置詞に相当するような音符も随所に見られる。そんな部分を発見するだけで楽譜の読み方が変わり、必然的に奏でる音楽も変わる。

さて、こんな風に書き出すと、言語学を絡めたお話ですか?と言われそうだが、もっと簡単に「雰囲気」のお話...

ドイツの音楽とフランスの音楽、音楽の趣きが両者で異なるのは一目 一聴瞭然だが、楽譜を見てみてもその趣向が異なるのが一目瞭然。
19世紀や20世紀音楽の楽譜も何だか音符の並びが違うねぇ...という印象を受けるが、それくらいに、バロック期の楽譜もドイツとフランスの両者では随分図柄が異なる。よくカフェやアンティークショップのディスプレイなど、インテリア感覚で楽譜が使われていることがあるけれども、その感覚で両者を見比べれば、本当に別のものに見えると思う。
何が図柄を変えているのか...特に18世紀作品において、フランス作品には実音符以外の小さな音符が沢山あるのに対し、同方向性の作品におけるドイツ音楽の楽譜では実音符で真っ黒に埋め尽くされてしまっている。フランス作品にある実音符以外の「小さな音符」は装飾音を意味するものだが、ドイツの人は真面目だから、装飾も全部書き出したため、こんなにも真っ黒になったらしい...という意見がある。この説、では、フランス人は真面目ではないのか!? という失礼な説だと私は思うのだが、失礼にあたるかどうかは、さておき、実際のところ例えばJ.S.バッハの「イタリア協奏曲」の第2楽章など、音符の中から「装飾であるもの」を見つけ出さねばならない。

この「装飾をどう書くか」は、むろん「お国柄」の現れではあるが、言語にも結びついているのではないだろうか。私のような言語学に疎く、又、語学脳も持ち合わせてはいない人間にとって、母国語以外の言語は、耳にしても「言語」である以前に「音」としてしか聞こえないのだが、フランス語は発音の移動が小さく聞こえるのに対して、ドイツ語は短い音節の言葉も非常にはっきりと聞こえる(あくまでも私の意見。学問的にはどうかは分かりませんが...)。装飾もフランス作品では、小さな音符によってニュアンスを出そうとしているのに対し、ドイツ作品では装飾も明確に、彼らの中では自然発生的に実音の中で書こうとしたのではないだろうか?

あくまでも推測でしかないが、当時、音楽の先端はフランスにあったらしい。だからフランスの語法がドイツに入って生じたものは一体いかなるものなのかを考える必要があるのだが、そこを論ずる前に、もっと根本的なところも見るべきではないだろうか。
言語と音楽の関連は、テキストや修辞学の問題ではなく、「音」そのものにとって重要な事柄のように思う。あくまでも音楽芸術は文化の一つであり、文化は社会というベースが存在してこそ成立するものなのだから...。
(2007/08/16 Seiko NAKATA)


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