9 juli 2009

中田聖子チェンバロ・リサイタルVI「バッハとフランス」プログラムノートより

2009年1月15日開催リサイタル プログラム・ノートより... 中田 聖子  

■ はじめに...
 リサイタルでは、第1回よりJ.S.バッハを中心とするプログラムを組んで参りましたが、第6回目の今回は彼の「フランス風序曲」に着目したプログラムを組ませて頂きました。J.S.バッハの数あるチェンバロ曲・数ある大作の中でも非常にエレガントなこの作品と出会った時から「いつか演奏したい」と思い、この作品の魅力は一体何処にあるのだろうかとずっと考えてまいりました。言葉にすることの出来ないその魅力のヒントは、私がチェンバロ演奏を研究する上で出会った17世紀のフランス作品にあるように思い、今回のプログラムは「フランス風序曲」の為に「J.S.バッハとフランス(との関係)」に焦点を置かせて頂いています。
 J.S.バッハはドイツから一歩も出たことのない作曲家のようですし、むろんフランスを訪れたことはありません。又、今日演奏する他の3人の作曲家との直接的な接点もありません。しかし、彼とフランス音楽を結ぶルートを幾つか考えることが出来ます。1つは、彼を育んだ北ドイツ楽派の先人達を介したルート。彼の北ドイツの先輩作曲家には、今日演奏するルイ・クープランと密接な関係にあり、影響を受けた人もいたようです。もう1つは楽譜を通してのルート。次男カール・フィリップ・エマニエル・バッハが書き残している言葉によれば、J.S.バッハは優れた先人や当時の作曲家たちの作品を観察し、自身の思考で噛み砕くことによって作曲技法を習得したようです。17世紀後半より音楽をはじめとする文化の先端を走っていたのはフランスで、言わば他のヨーロッパの宮廷から憧れられるような存在でした。つまり、フランス音楽が輸入されるような時代背景下であり、ドイツにはフランス人音楽家が多くいた宮廷楽団もありました。事実、J.S.バッハ自身、彼らと交流があったようですし、ドイツに居ながらにしてフランス音楽の出版譜を手にすることも出来たようです。音楽様式の上で机上論として影響の特徴的なものとしては「スティル・ブリゼ style brisé(=つま弾き様式)」等を言及することが出来ますし、J.S.バッハのチェンバロ組曲には、そういった作曲様式や、フランス作品に見られる語法を多かれ少なかれ見て取ることが出来ます。
 「フランス風序曲」に向かうチェンバロ音楽の歴史の一つの流れ・変遷として、お聴き頂ければ嬉しく思います。このプログラムは『フランス風序曲の為のフルコース』として私なりに御提案したく思っております。少し重たいコースかもしれませんが、最後までお楽しみ頂ければ幸いです。

■ ヨハン・セバスチャン・バッハ : 組曲 ホ短調 BWV996      
 Johann Sebastian Bach (1685-1750) : Suite, e-moll, BWV996
 プレリュード / アルマンド / クーラント / サラバンド / ブーレ / ジーグ   
 Praeludio / Allemande / Courante / Sarabande / Bourrée / Gigue
 プロローグとして演奏致します「組曲 ホ短調 BWV.996」は、手稿譜に「ラウテン・ヴェルク(リュート・チェンバロ)で」弾く作品であると書かれてあり、バッハ作品目録にはチェンバロ作品ではなくリュート作品として分類されている組曲です。ラウテン・ヴェルクは18世紀前半にドイツで好まれた楽器であったと言われていますが、残存しておらず、一体どのような楽器であったのか正確には分かりません。しかし、リュートのようにガット弦を張ったチェンバロであったと一説では推測されています。遺産目録からJ.S.バッハも2台所有していたことが知られていますが、その内の一台は彼の設計によるものであったようです。又、親族にこの楽器のビルダーがいたとも言われています。さて、この謎の楽器の物理的音質はチェンバロとリュートの間にあると推測することが出来ますが、リュートの撥弦楽器の特徴を生かした分散奏法などのスタイルによる作曲語法を、撥弦構造を持つチェンバロの為の作品にも17世紀のフランス作曲家たちは取り入れました。これを「スティル・ブリゼ」と呼びますが、J.S.バッハも取り入れ「フランス組曲」をはじめとする作品にそれが見られます。今日は敢えて有名どころからは選曲せず、リュートとチェンバロが密接な関係にあったことを想いながら、このラウテン・ヴェルクの為の組曲を演奏致します。
 この組曲に登場するアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグの4つの舞曲は、J.S.バッハの組曲の基本的な構成舞曲となる組み合わせです。又、この組曲のように前奏(プレリュード)が置かれたり、サラバンドとジーグの間に様々な挿入舞曲が置かれて構成されたものが多くあります(この組曲の場合はブーレが挿入舞曲)。

■ ルイ・クープラン : 組曲 ト調
 Louis Couperin(ca.1626-1661) : Suite in g
 プレリュード / アルマンド / クーラント / サラバンド / シャコンヌあるいはパッサカイユ / サラバンド / パッサカイユ / シャコンヌ
 Prélude / Allemande / Courante / Sarabande / Chaconne ou Passacaille / Sarabande / Passacaille / Chanconne
 「クープラン」と言うと、J.S.バッハとほぼ同時代を生きたフランソワ・クープラン(1668-1733)のことを思われるかもしれません。フランソワの伯父にあたるのが今日演奏しますルイ・クープランです。彼はこの音楽家一族の中でも音楽史の上で非常に重要な位置にあり、17世紀の鍵盤音楽作曲家として非常に重要な人物です。彼のクラヴサン(チェンバロの仏語)作品でスティル・ブリゼが用いられたのは勿論のこと、非常に特徴的なプレリュードを残しています。小節線が無く、全て白符の全音符で記されたプレリュード・・・これを「ノン・ムジュレ non mesuré」と言うのですが、保持されるべき音符を示す長い感覚的な曲線は記されているものの、各々の音符の長さは全く示されていません。つまり、全音符の羅列から、何処が和音の分散書法で何処が旋律であるかを見極め、そのテクスチュアを即興的に演奏することが求められます。このノン・ムジュレのプレリュードは、J.-H.ダングルベールやL.N.クレランボーやN.ルベーグ、J.P.ラモーら他のフランスの作曲家たちにも影響を与えていきました。ルイ・クープランが残したクラヴサンの為のプレリュードは全てがノン・ムジュレで書かれていますが、数曲は中間部に「シャンジュマン Changement de mouvement」が挿入されています。シャンジュマンでは、拍子指定と音価を示す音符、つまり通常の楽譜の書き方で書かれていますが、いずれも対位書法によるもので、今日演奏しますプレリュードもシャンジュマンを挿入した形で書かれたものです。シャンジュマンの終わりに近づくと次第にノン・ムジュレの要素が顔を見せ始め、後部のノン・ムジュレへと移行していくように書かれているのが、今日演奏するプレリュードの特徴です。
 ノン・ムジュレのプレリュードは、我々の「日常の時間」から「音楽の時間」へ明確な乖離を持たせずに聴かせる目的をもっていたのではないか、と私は考えています。プレリュードと各々の舞曲共に豊潤な和声が登場しますので、それもお聴き頂ければと思います。

■ ジャン=アンリ・ダングルベール : 組曲 第3番 ニ短調 
 Jean-Henry D'Anglebert(1628-1691) : Troisieme Suite, ré mineur
 プレリュード / アルマンド / クーラント(-ドゥーブル) / 第2クーラント / サラバンド グラーヴェ / サラバンド / ジーグ / ガイヤルド / ガヴォット / メヌエット / スペインのフォリアによる変奏曲
 Prélude / Allemande / Courante (et Double de la Courante) / Deuxieme Courante / Sarabande Grave / Sarabande / Gigue / Gaillarde / Gavotte / Menuet / Variations sur les folie d'Espagne
 ダングルベールは、ルイ14世の宮廷音楽家・王室音楽教師・国王室内楽団の常任クラヴサン奏者として活躍しましたが、1689年に4つの組曲をおさめた『クラヴサン曲集 Pièces de clavecin』を出版しました。当時の作曲家達は装飾音を各々思い思いの書き方(記号)で記しており、演奏するにあたってはその解読から始めなければならないのですが、彼はこの曲集に「装飾音符とその演奏法に関する表(=装飾音の実践例表)」を付しました。このような譜表を付した出版譜は、このダングルベールの『クラヴサン曲集』が最初であると言われています。後にJ.S.バッハも『ヴィルヘルム・フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集』に装飾音の譜表を載せていますが、このダングルベールの譜表を元に手を加えて書いたものだと言われています。
 ダングルベールのプレリュードもノン・ムジュレによるものですが、一見ルイ・クープランのものよりも読みやすい楽譜になっています。時折小節線もあり、八分音符や十六分音符による黒符も登場します。又、装飾記号が付けられた音符も書かれています。しかし、音の保持を示す曲線が残り、今日演奏する第3番のプレリュードにおいては八分音符が最も多く記されていますが、全ての八分音符、及び全音符や十六分音符を各々同じ音価(音の長さ)で弾いてしまっては到底音楽にはならず、ルイ・クープランの楽譜同様に、旋律線や和音の分散部分などを見極めて演奏することが奏者には求められます。ところで、現在の記譜法において全音符の次に短い音符の単位は二分音符、その次に短いものは四分音符であるにも関わらず、プレリュードにはこの二種類の音符が全く登場せずに、全音符の次に短い音符として、突如、八分音符が用いられていることは不思議な点です。詳説は省略致しますが、この不思議な点より、ノン・ムジュレの書法にはまだバロック期よりも古い記譜法の習慣の名残があることを疑えると私は考えています。
 さて、第3組曲は沢山の舞曲で構成されていますが、最後は「スペインのフォリアによる変奏曲」で閉めくくられます。テーマとして用いられている「スペインのフォリア」は、フォリアと言えばこれ! というくらい最も有名なフォリアの旋律ですが、この旋律はフランスにおいてサラバンドとして踊られたものでもありました。フランスの組曲はサラバンドで閉めくくられることが多かったようですが、この第3組曲はその一つだと言えるでしょう。又、組曲の第5曲として置かれている「サラバンド・グラーヴェ」がフォリアの旋律を暗示していることも面白い点であると思います。

■ ヨハン・セバスチャン・バッハ : フランス風序曲 ロ短調 BWV831
 Johann Sebastian Bach(1685-1750) : Französische Ouverture, h-moll, BWV831   
  (Ouverure nach Französischer Art, Zweiter Teil der Klavierübung)
 ウーヴェルチュール(序曲) / クーラント / ガヴォット I-II / パスピエ I-II / サラバンド ブーレ I-II / ジーグ / エコー
 Ouverture / Courante / Gavotte I-II / Passepied I-II / Sarabande / Bourrée I-II / Gigue / Echo
 J.S.バッハは、「フランス風序曲」を『クラヴィーア練習曲集 第2部 Zweiter Teil der Klavierübung』として「イタリア協奏曲」と共におさめて1735年に出版しました。この2作品は共に、二段鍵盤チェンバロの特性を生かして管弦楽の色を表現する作風です。「フランス風序曲」では、特に最初の「ウーヴェルチュール」と終曲の「エコー」にそれを見ることが出来ます。又、各舞曲にも幾つかの楽器のアンサンブルのような側面を見ることが出来ます。ところで「フランス風序曲」と和訳され通り名となっていますが、オリジナルの出版表題は「フランスの技法による序曲 Ouverture nach Französische Art」であり、そのタイトル通り、フランスの作曲スタイルや、ルイ・クープラン、ダングルベールらの17世紀のクラヴサン作品に見られる語法などが随所に現れています。又、J.S.バッハの残した舞曲は実際の舞踏曲ではなく恐らく鑑賞用としての作品が殆どでしたが、この作品におさめられた舞曲は、ルイ・クープランやダングルベールの作品のように実際に舞踏が行われた舞曲であるかどうかは分からないものの、より舞踏曲としてのオリジナルのスタイルに近い形で書かれています。
 ところで、J.S.バッハのチェンバロ組曲の多くは、「組曲ホ短調 BWV996」のところでお話しましたように、アルマンド - クーラント - サラバンド - ジーグが基本の舞曲の組み合わせですが、この組曲にはアルマンドが欠けています。同歳のドイツ出身の作曲家ヘンデルの組曲にもアルマンドが無く、プレリュードの後がすぐクーラントで書かれているものが幾つかありますが、ドイツ人の誇り"アルマンド"ではなく舞曲群がクーラントから始まり、又「管弦楽組曲」にも見られますが自由に舞曲を配置しているのもJ.S.バッハの作品の中では非常に興味深い点であると言えます。

■ ジャン・バティスト=アントワーヌ・フォルクレ : 組曲 第5番 ハ短調 
 Jean-Baptiste-Antoine Forqueray(1699-1782) : Suite V, Ut mineur
 ラモー / ギニョン / レオン (サラバンド) / ボワゾン / モンティニ / シルヴァ / ユピテル(ジュピター)
 La rameau / La Guignon / La Léon, Sarabande / La Boisson / La Montigni / La Sylva / Jupiter
 本日のエピローグとして演奏する組曲を産んだフォルクレも、バッハ一族・クープラン一族と同様に、当時活躍した音楽家一族の者でした。組曲がおさめられた『クラヴサン曲集 Piecé de clavecin』は、ジャン・バティスト=アントワーヌ・フォルクレのものですが、これは彼の父アントワーヌ(1672-1745)の『通奏低音付きヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)曲集』をクラヴサン用に編曲したものです。フォルクレ"父"(名が紛らわしい為、実際に彼ら自身も"Le Pière 父"、"Le Fils 息子"と書いていた)は、ルイ14世の王室付き楽団のヴィオール奏者として活躍しました。フォルクレ"父"は同時期の優れたヴィオール奏者M.マレとヴィルトゥオーゾぶりが常に比べられ、アンリ・ル・ブランは「マレは天使の如く、フォルクレ"父"は悪魔の如く奏でる」という有名な言葉を残しています。又、フォルクレ"息子"も優れたヴィオール奏者でした。ヴィオールはルイ14世が愛好した楽器であったと伝えられており、ルイ14世の時代はヴィオール全盛期でありましたが、息子がルイ15世の王室付き音楽家として活躍していた頃には既に衰退の色を見せ始めていました。一方、クラブサンはまだまだ全盛期。ルイ・クープランやダングルベールの組曲と比べると、使用音域が低い組曲であることをお聞き頂きますと分かって頂けると思いますが、フォルクレ"息子"の時代(ドイツではJ.S.バッハが活躍した時代)のフランスで使用されたチェンバロは中音域の豊かな音色が特徴でした。その為、原曲のヴィオールの音域が低音域であることだけでなく、編曲にあたって敢えて移調せずに低音域のままで書かれたようです。ところで、ヴェルサイユのクラヴサン作品には音楽によって人物を描写するものが多数残っています。第5組曲を構成する殆どがそれにあたります。「ラモー」はフォルクレ"父"の音楽仲間であり、フランスの作曲家・音楽理論家のジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)を描写した作品。「ギニョン」はフォルクレ"息子"の仲間のヴァイオリニスト作曲家であったジャン・ピエール・ギニョン(1702-1774)を描写。「レオン」は、貴族のレオンの妻マリー・エリザベスが1743年に亡くなり、恐らくそのオマージュとして書かれたもの。「ボワゾン」はフォルクレ"息子"が1732年7月29日にジャンヌ・ノルソンと結婚した時の公証人であるマルク・アントワーヌ・ボワゾンを描写。「モンティニ」は王立科学アカデミーメンバーであった科学者エティエンヌ・ミニョト・ドゥ・モンティニを描写。「シルヴァ」は森の精など諸説ありますが、恐らく王妃の主治医であったジャン・バティスト・シルヴァを描写したものだと思われます。「ユピテル(ジュピター)」はローマ神話の天空の神、ギリシャ神話でいうところの神々の王ゼウスです。1690年の辞書にも「詩と天候を司る神々の王」とあり、曲中にはユピテルが司る雷鳴の轟きが描写されています。

■ 各舞曲について(当時の各舞曲について)
・アルマンド:ドイツの4拍子の舞曲で、男女が腕を様々な形を組んで踊られたもの。
・クーラント : フランス起源の3拍子系の舞曲で、17世紀までは貴族に愛された舞曲であった。
・サラバンド : スペイン起源と言われる3拍子を基本とする舞曲で、ルイ14世の時代には情熱的なエネルギーを秘めつつも荘重な舞曲として踊られた。
・ジーグ : イギリス起源の跳躍を多く含む舞曲。バロック時代には最も人気があった舞曲。
・ブーレ (J.S.バッハ「組曲ホ短調 BWV996」「フランス風序曲」に登場): 当時の記述やJ.J.ルソーの「音楽辞典」(1768)によると、フランス・オーヴェルニュ地方のフォークダンスに由来する2拍子系の舞曲で、気楽に軽快に踊られたもの。求愛の舞踊であったとも言われている。
・シャコンヌ(ルイ・クープランの組曲に登場) : 元々はスペインで流行した激しい性格のものだったが、フランスでは気高く、定型バスをもつ舞曲として発展。
・パッサカイユ(ルイ・クープランの組曲に登場):元々は舞踏曲ではなくシャコンヌ同様に定型バスを持つ器楽曲としてイタリアやスペインンで発展したものだが、17世紀にフランスに入って舞踏曲として用いられるようになった。サラバンド、シャコンヌと同じ特徴的なリズムを持っている舞曲。
・ガイヤルド(ダングルベールの組曲に登場):16-17世紀にヨーロッパ各地で好んで踊られた快活な3拍子の舞曲。
・ガヴォット(ダングルベールの組曲と「フランス風序曲」に登場): 4拍子系の舞曲で、時代を経ると共に他の舞曲が変遷しテンポや性格さえ変わってしまったものがあったにも関わらず、常に跳躍を含んで踊られた舞曲。
・メヌエット(ダングルベールの組曲に登場): 宮廷舞踊の花形として長きに渡って踊られたバロック宮廷舞踏を代表する舞曲。男女ペアで踊る舞曲で、少なくとも18世紀末まで踊られ続け、後にはワルツへと発展していった。
・パスピエ(「フランス風序曲」に登場): 17世紀の宮廷舞踏としてのパスピエは3拍子系の舞曲で、舞踏自体はメヌエットのヴァリエーション・ステップによるものだった。
(プログラム・ノート 曲目解説 : 中田 聖子)

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