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10/24-25、日本音楽学会全国大会(於 阪大)に行って来た。
今回参加したのは、以下のもの。
・シンポジウム『第一次世界大戦と音楽史』
・研究発表『模範としての「演奏のスタイル」ーフレスコバルディのトッカータにおけるパラドックス』大岩みどり氏、
・研究発表『体系か概念か?19世紀「旋法」再考ー tonとmodeを手がかりに』安川智子氏
・研究発表『コプラ概念再考』平井真希子氏
・研究発表『19世紀フランスにおける単旋聖歌の復興運動と『単旋聖歌伴奏の理論と実践』』木内麻理子氏
・シンポジウム『メンデルスゾーンの「イタリア」ードイツ人音楽家のイタリア旅行体験を多角的に検証する」

 私の視点はあくまでも奏者観点であるので、ここで 各シンポジウムについて や 研究発表について の言及は避けるけれども、概して研究発表を聞く度に残念に思うことがある。それは、音楽作品が楽譜の形で残されていても実際に鳴り響く音楽として残されていないことである(これを嘆くのは仕方のないことではあるが)。19世紀末や20世紀に入ると作曲家自身の手による録音や、作曲家が関与した演奏録音が残されている場合があるけれども、鳴り響く音が残っていれば...と思うことがしばしばある。実際の音にする迄の音楽学的研究が必要な場合もあれば(コプラ概念などはまさにそのケース)、これは特に奏者観点の意見だけれども19世紀以降の読譜の習慣やその概念のままに研究を進めては非常に危うい場合もある。
 どの研究発表でそう思ったのか、ということではないが、今回感じたことは、現在「19世紀以降の」概念というように言われるものも、果たしていつからのものにそれが言えるのか?ということ。全ての19世紀以降の作曲家においてそれが通用していたのかが疑問だ。もしかしたら「19世紀以降」「18世紀以前」を奏者間で言っていても、それは小さなコミュニティ(=日本人だけ)でのことかもしれないし、もちろん主にバロックを演奏する者達が扱う音楽も16世紀、17世紀、18世紀、さらには各Centuryの前半後半、又、地域によって異なり、同じ概念では音楽を扱えない。音楽学研究が進むことは演奏実践において非常に重要であり待望していることであるけれども、時には演奏実践から研究を疑うことも、いや、今後はそんなことも必要になってくるのではないか、と考えた。堂々巡りのようだけれども...。
 そして、今言われている(いや「今言う」こと自体が何だか古い考え方の音楽観だなぁとさえも思うけれども)「19世紀以降の音楽観」というのは、実は20世紀に入ってからの音楽観であって、これももしかしたら第一次世界大戦を境目にしているのではないか? という極論も思い浮かんでしまった。
 もっともベストな研究の形というのは、研究者と実践者の双方で実験し検証していくことだろうけれども。芸術学の分野を超える必要もあるだろうなぁとさえ思う。
 あくまでも現在の日本のソルフェージュ教育が通用しない楽譜を日々読んで音にすることを考えているチェンバロ奏者の思うことにすぎないけれども(むろん全てのチェンバロ奏者がそうは思っていないであろうことも断っておきます)、素晴らしい研究発表を目の前にしても、そんな細かいところも気になってしまうのは職業病かもしれない。

 ところで、意外にも異分野(私にとってはEarly Music以外の音楽分野)の研究発表だとかシンポジウムが妙に刺激になることも面白い。様々な点で「考え直す」ということにあたっての参考になることが多い。勿論、方法を「変換」しなければならないのではあるが...。

2009.06.06「ドイツ三大巨匠のオーボエとチェンバロ」(in 池田アゼリア) 配布

(バロック音楽を御存知ではない方にもコンサートを楽しんで頂きたいと思って書いたものです。公演当日に会場で配布しました)


「本日のコンサートをより楽しんで頂く為に... 」チェンバロ 中田 聖子

■ バロック音楽とは...
時代としては1600年頃から1750年頃迄の17-18世紀前半のヨーロッパの音楽を指します。日本の時代区分では、ちょうど江戸時代の前半がすっぽりとこの時期に入り、桃山文化の後期と元禄文化の時期と重なります。この頃のヨーロッパでの音楽が、現在我々が言う「クラシック音楽」の基礎となっており、小中学校の音楽室にある作曲家の肖像画はバロック時代の作曲家達のものが一番古くなっています。その作曲家達はバッハやヘンデル、ヴィヴァルディだと思います。バロック音楽に馴染みがなくても、彼らの名前は御存知かもしれませんが、彼らはバロック期の最後期の作曲家達です。今日はそのバロック後期のドイツ出身の三大作曲家、J.S.バッハとヘンデル、そしてテレマンの曲を演奏します。バロック初期・中期も素晴らしい音楽ばかりなのですが、後期になって長調・短調の調性音楽が確立され 、華やかな作品も多く残っている為、日本人にとっては馴染みやすくバロック後期が盛期だと言われています。


■ バロック時代 = 通奏低音時代
バロック期の時代を音楽様式から「通奏低音時代」と言う説もあります。通奏低音...その名の通り、ずーっと低音を演奏するスタイル。元々は多声部の声楽曲のガイドとして音楽の礎になるバスをオルガンやチェンバロが通奏し、その和声(和音)をコーラス・メンバー達の力量に合わせて補充していったものでしたが(勿論、必要のない力量のメンバーの場合、不要なものでした)、バロック時代になるとガイドであった「通奏低音」がアンサンブルにおける鍵盤楽器パートの1つの演奏法へと確立していきます。声楽の多声部用の曲の楽譜から最低音を拾い和音を判断していったものだったのが、通奏低音パートが独立して書かれるようになり、和音を考えなくてもいいように数字で和音を示すようになっていきます。数字は今でいう「コードネーム」のような役割をしているものなのですが、器楽曲のバス・パートとしてもそれが用いられ、オルガニストやチェンバリストは、楽譜に書かれたバス旋律の音符を弾きながら、数字示された和音に基づいた即興で装飾を奏でて行きます。今日演奏する中では、ヘンデルとテレマンのソナタが旋律楽器(オーボエ)と通奏低音パートの為に書かれた曲です。


■ J.S.バッハ、テレマン、ヘンデル
今日演奏する三人の生没年は、バッハが1685-1750、テレマンが1681-1767、ヘンデルが1685-1789。バッハとテレマンは同級生、テレマンは4歳上のお兄さんということになります。『バロック音楽とは...』のところで、1750年頃迄がバロックに当たると述べましたが、テレマンもヘンデルも1750年以降も生きておられました。J.S.バッハは音楽史の上で特に重要な作曲家であり、時代様式は勿論ある時を境に突如として変わるものではありませんので、一応、バッハの没年を区切りの目安として扱われています。ある学説の視点からは「バッハは、当時では既に古いスタイルでの音楽を書いた作曲家であった」と言われています。
三人の中で浮いた存在であるのがバッハで、彼だけがドイツから1歩も外に出ることはありませんでした。ヘンデルはイタリアのナポリに留学し、ナポリ派オペラの作曲家達から学び(あるいは影響を受け) その後、渡英、そしてイギリスに帰化しました。テレマンはドイツの各都市で活躍した作曲家でしたが、度々パリを訪れていた記録が残っています。又、バッハだけが劇場音楽の作曲家ではありませんでした。ヘンデルもテレマンも劇場音楽(オペラなど)の作曲家として名声を得ましたが、バッハだけがオペラを1曲も残していません。
しかし、決してバッハが当時仲間外れだった訳ではありません。勿論、浮いた存在というのは音楽学上でのお話であって、J.S.バッハはテレマンと交流があり、ミドルネーム「フィリップ」を貰って次男に付けていますし、今日はテレマンの協奏曲を原曲にしたJ.S.バッハの作品も演奏します。又、テレマンとヘンデルとの関係は文通を交わす仲であったと伝えられていますし、テレマンの『食卓の音楽』出版の予約名簿には友人のヘンデル博士の名がありました。ヘンデルとバッハは、叶わなかったもののハレ迄バッハが会いに行ったと伝えられています。すれ違いであったと伝えられていますが、それは決して接点を否定するものではありません。

■ 今日の演奏曲について

・ J.S.バッハ「イタリア協奏曲」:オーボエの白木さんのリクエスト曲「イタリア協奏曲」で幕開けさせて頂きます。バッハのチェンバロ作品としては最も有名な曲ですが、おかしなことにチェンバロ独奏の曲なのに「協奏曲」というタイトルがついています。協奏曲は本来オーケストラ曲で、ソロ楽器とオーケストラの全奏との対比が見られる形の曲です。二段鍵盤のチェンバロでは、下鍵盤で複数弦による厚い音を出すことが出来る構造になっていますが、「イタリア協奏曲」では下鍵盤の厚い音でオーケストラの全員奏を、上鍵盤の単独弦の音でソロ楽器の風情を演奏し、「協奏曲」のソロの部分と全奏の部分の対比を描いた曲として書かれています。
・ G.P.テレマン「オーボエ・ソナタ イ短調」:現在TWV41:a3という作品目録番号が付いているイ短調のオーボエ・ソナタは『忠実なる音楽の師』という作品集にあるソナタです。『忠実なる音楽の師』は、1年間の定期刊行物としてテレマンが自費出版した作品集で60曲以上にも渡ります。ビジネスマンとしての才能もあったテレマンは商業的に上手な出版の仕方をしており、4楽章構成のこのソナタですが1-2楽章をまず出版し、その後、別のチェンバロ曲や声楽曲を刊行、そして時間を置いて3-4楽章が出版されました。
・ J.S.バッハ「テレマンの協奏曲TWV51に基づくチェンバロ独奏用協奏曲 BWV985」:これも協奏曲なのにチェンバロ独奏曲! 原曲がテレマンのヴァイオリン協奏曲で、それを元にバッハがチェンバロ独奏で弾けるように編曲した作品です。バッハはヴァイマールの宮廷に仕えていた時がありましたが、領主の甥エルンスト公子が留学先のアムステルダムから戻って来たのがこの作品が書かれるきっかけとなりました。エルンスト公子はアムステルダムで盲目のオルガニスト、ヤン・ヤーコプ・グラーフが協奏曲を鍵盤独奏用に編曲して演奏するのを聴いてきました。そこで同様にヴィヴァルディの『調和の霊感』やテレマンの協奏曲をチェンバロ1台あるいはオルガン1台で演奏する作品に編曲せよとバッハに命じたという訳です。そしてバッハは17曲のチェンバロ独奏用協奏曲と6曲のオルガン独奏用協奏曲へと編曲しました。この編曲のお仕事はバッハにとって様々な作曲動機に繋がったようで「イタリア協奏曲」もこの編曲がなければ生まれなかったのではないかと考えられています。

・ G.F.ヘンデル「オーボエ・ソナタ 変ロ長調」:ヘンデルがイタリアやイギリスに渡った国際的な作曲家であったことは先に述べましたが、彼の作品はイギリスやオランダで生前出版されました。オーボエ、ヴァイオリン、フルート、リコーダーといった旋律楽器の為のソナタは1730年頃にロンドンのウォルシュから出版された12のソナタがよく知られていますが、他にケンブリッジのフィッツウィリアム・ミュージアムに残る3曲と大英博物館所蔵の1つのソナタの手稿譜が残存しています。ヘンデルはこれらのソナタについて「当時の私は悪魔に取り憑かれたように作曲していたが、それらは主としてオーボエの為のもので、オーボエは私が気に入っていた楽器であった」と言った、と伝えられています。今日演奏するソナタはフィッツウィリアム・ミュージアムに手稿譜が残されている曲です。
・ G.F.ヘンデル「クラヴサン組曲 ニ短調HWV428」:バロック時代には様々な楽器の為の「組曲」が沢山書かれましたが、組曲は幾つかの舞曲を組み合わせて構成したものです。HWV428という作品目録番号が付いているこのクラヴサン(仏語でチェンバロのこと)組曲は、6つの曲で構成され「プレリュード」(前奏曲)で始まります。次に続くのは「アレグロ」ですが、これはフーガという多声部の旋律を織りなすような形式で書かれており、最初の「プレリュード」とセットで1つの前奏曲として解釈出来ます。3つめは「アルマンド」。アルマンドは男女が腕を様々な形で組み合わせて踊るドイツ起源の舞曲です。4つめは「クーラント」ですが、クーラントと表記される跳躍を伴う舞曲には2種類があり2拍子系のフランスの「クーラント」と3/4拍子や3/8拍子のイタリアの「コレンテ」があります。表記が混同されることが多いのですが、フランス語でこの組曲では表記されていますが、3/4拍子のイタリア・スタイルの「コレンテ」で書かれています。5つめは「エア」。テーマとなるバスに美しい装飾がきらびやかな「エア」には、変奏が5つ続きます。最後は「プレスト」と書かれた曲ですが、同じ旋律がヴァイオリン・ソナタにも用いられているのが有名です。
・ J.S.バッハ「オーボエとチェンバロの為のソナタ 変ホ長調BWV1031」:今日オーボエとチェンバロで演奏する曲の中で、このソナタは異種のものです。テレマンとヘンデルのソナタでは、チェンバロが弾くところはバス(低音)の旋律しか書かれておらず右手は即興で演奏しますが、このソナタにはチェンバロの右手も左手もはっきりと音符が書かれています。後の時代のピアノ伴奏譜のように書かれており、バッハ以降では当たり前の鍵盤楽器パートの書かれ方ですが、当時では画期的なことで「オブリガート・チェンバロ」と呼ぶこともあります。オーボエの旋律、チェンバロの右手の旋律、そして左手のバスの旋律の3つの旋律があり、三人の奏者で演奏するトリオのような形式で書かれたソナタです。
(曲目解説 : 中田聖子)

「上と下の鍵盤、一緒に動いているみたいに見えますが...」

アンケートや頂くメールで最も多い質問です。

チェンバロの鍵盤は、上鍵盤と下鍵盤、一緒に動くように見えるんじゃなくて、一緒にも動きます (笑)

チェンバロのしくみは、私がお答えするよりも、チェンバロ製作家さんのサイトを御覧になられた方が、 分かりやすいと思うので、詳説は割愛致しますが、 ヒストリカル・チェンバロの二段鍵盤式の楽器には、 通常、上鍵盤と下鍵盤に、同じ高さの音がする弦 (8'弦と呼ぶ)がそれぞれ張られています。

... 又、たいていの二段鍵盤チェンバロの下鍵盤には、 オクターブ高い音の弦(4'弦と呼ぶ)も張られているのですが、この話は、今回は蛇足なり。

下鍵盤と上鍵盤、同じ高さの音が出るのですが、
(☆ 二段も鍵盤があって、音域が広いんですねーと言われますが、 エレクトーンのような仕組みではないことも、蛇に足を生やしておこう(笑) )
それぞれ微妙に音色が違うように、調整されています (通常は。)

8'弦1本でも、演奏しますが、より分厚い音で演奏したい時に、 上鍵盤と下鍵盤を一緒に動かすレジスターを用い、8'弦2本を鳴らして演奏します。
これが「上鍵盤と下鍵盤が一緒に動いている」状態での演奏です。

ちなみに、下鍵盤をぐっと押し込むことで、上下連動させる仕組みになっている楽器が、 最近では多く作られているように思います。どのような操作で連動するのかは、本当は楽器によって異なります。

プレイヤーの近くの席に座られた方は、そんなところも、演奏会で見てみてください(^^)


またまた蛇足ながら、4'弦を加えた音色で演奏することもあります。

通常
 ・ 下鍵盤の8'弦+4'弦
 ・ 上下鍵盤の8'弦2本+4'弦

という音色の使い分けがあります。

これに加えて、チェンバロには、
 ・ 上鍵盤の8'弦1本
 ・ 下鍵盤の 〃
 ・ 上下鍵盤の8'弦2本
・ バフストップ(ミュートをかけたような音がする)を用いた8'弦
     (☆楽器によってバフがかかるのは上だったり、下だったり。両方にかかる楽器もあります)
めったに使わないが、
 ・ 4'弦1本。

以上、7種類の音色を使い分けることが出来ます。

これに、奏者の指先で弾き分ける音色が、各々に、無限に加わります(^^)


「へぇーチェンバロの奏者なんですかー」

「チェンバロって大きい楽器ですよね」
「持ち運ぶの大変でしょう?」

いずれも私は「はい」と答える。

チェンバロを御存知なのだと内心嬉しく思いながら、返事をする。

「チェンバロってね、オーケストラのしか聞いたことなくて、独奏って聞いたことないんですよね」

あーそうですか (^^) と答えながら、
おぉ、バロック音楽を生演奏で聴かれたことがあるんだなぁ~
とこれまた嬉しく思う。

「こう、沢山のチェンバロの人がオケで弾いてますでしょ。
 チェンバロって一人だと小さい音なんですか?」

は? へ? (?_?)

ここで、私は、相手が、チェンバロとチェロとを間違えてらっしゃることに、はじめて気付く。

音楽好きなんですよ(^^) とおっしゃって、お話が弾むことも多いが、
まだまだチェンバロという楽器を御存知の方は少ないと痛感する。

「チェンバロはね、弦は張ってありますけれども、鍵盤楽器なのですよ(^^)」

チェンバロ cembalo (独)は、フランス語ではクラヴサン Clavecin、
英語ではハープシコード Harpsichordと呼ぶ、
ピアノが産まれる前に盛んに用いられた鍵盤楽器である。
形状はピアノの前身なのだが、内部構造が違う。
ピアノは、弦をハンマーで打って音を出すのだが、チェンバロは弦を爪がはじいて音を出す。
鍵盤の先...これは楽器の中に入っているものだから、外からは見えないけれども、
先に繋がるものが、爪なんですよ。

私は説明が上手ではないので、大抵「?」な顔をされる。
一度見て頂けたら、疑問は一気に吹っ飛ぶと思うのですが f(^^;;

「どんな音なのですか?」

音の種類は、弦をはじいて音を出すので、ハープやギターやお琴...と似通っていますが、
これまた聴いて頂くのが一番良いかと... 良かったら一度、演奏会にお越しくださいな(^^)


勿論、宣伝目的など持たずにチェンバロのお話をするのだが、
最後に宣伝するしかないや...となることが多い...。
人の良い方や、本当に「チェンバロってどんな楽器なの?」と思われた方は、
社交辞令でなく、実際に演奏会に足を運んで下さる方も多い。
「チェンバロ お初」が私の演奏となる方がおられる...奏者として責任重大。
チェンバロ自体のイメージを良しとするか悪しとするかは、私の演奏次第...
チェンバロという楽器を一人でも多くの方に知って頂きたい...と思ったと同時に、
重大な責任を負ったのだと、私は思っている。
(2000)

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