理論付けられないこと

私は「考える」ことが好きです。勿論、何でもかんでも好き好んで考える訳ではないですが、考え過ぎて、物の見方を誤ることも少なくはありません。
インスピレーションも非常に大切なことだと思っています。理論づけられないこと、理屈で説明のつかないことは世の中に沢山存在する。

自分にとって、考えても考えても、1つしか答えが導きだせないことがある。
何故そうなのか... を考えても、理論づけられないことがある。
理論付けて、否定の答えを導きだそうと例え思っても、打ち破られることがある。

自分自身にとってだけでなく、(並列させるのは、何とも気が咎めるところですが)
楽譜と向き合っていても、そんなことがある。
理論で説明出来ないのだけれども、ここは「こうである」と何処かから言われているかのような感覚に陥ることがある。作曲作品の場合、楽器から言われることもあるし、楽譜が言ってくることもあるし、恐れ多い空想だけれども、作曲家が語りかけてくれたのではないか... とさえ思えるような感覚に陥ることもある。最後のケースは、とても稀なことだけれども。

インスピレーションという言葉で片付けるのは、とても簡単なことだと思います。その言葉で私も代用することは多いけれども、考えても理屈では説明のつかないことって、あるものですね。1つしか答えがないのは分かっているから、その答えを信じてみようと思います。

音楽作品においても、自分の答えを信じて、音楽作品・作曲家・チェンバロの魅力を「演奏」という形で、皆さんに語りたい... と思っています!