le clavecin et Juliet

 昨日7/14はフランス革命記念日でした。
 子供の頃から18世紀フランスを舞台にしたお話(歴史本だとか、フィクションとか)は好きだったのと、昔「巴里祭」というタイトルの曲を演奏するバンドがあったりして、いつからか「7/14 = パリ祭」と意識するようになっていました。今でもそうなのだけれども、チェンバロの世界に入ってからは、同時に意識することがあって、次の日はデュフリ J.Duphlyの命日であるということ。
 そして7月に毎年感じる気持ちは...複雑な気持ち...
 自分が演奏しているチェンバロは、日本人がフランスの歴史を見る際に「革命以前の象徴的な楽器である」という見方をされることがあって、正直複雑な気持ちになるのです。
 いつものごとく、ぶっとびな話の展開ですが、それを思う度に、19世紀に入ってから、チェンバロという楽器がヨーロッパでどういう存在であったのか、が気になります。
 最近、巷で歴史的音源と言われる19世紀末から20世紀初頭にかけての録音を聴かせて頂く機会が多いのですが、当時の演奏家たちが今の日本人古楽器奏者が思っている以上に、バロック音楽を演奏しています。又、当時の新聞にそんな演奏が行なわれた記録(批評)や、演奏予告が残っています。ここのところの最大の疑問は「チェンバロは本当に一旦途絶えた楽器なのかな?」ということです。気長にこういうことについて知って行けたらなぁ...と思っている今日この頃です。