言語と音符

先程記事を書いていて、うっかり消してしまいました ^_^;
Blog記事に限らずよくあることなのですが、
最近Keyboardを打っていると
何故か自動的に意味不明の入力を行っている場合があります。
特にチェンバロを弾いてすぐPCの前に座ると起こります。
Keyに触れる指先がチェンバロモードのままでいるようで、
Keyタッチが重複入力と判断してしまうようです ^_^;
MTにしたことだし、書類を作る時のように、
少しずつ保存していけば良いのだと、MT導入2週間程で悟る。

それはさておき、先日より久々に五線紙に向かっています。
2件...正確には4作品なのですが、1つは所謂室内楽で、残る3つはオペラ。
後者の方はJ.Ph.ラモーの作品なのですが、演奏会本番ではないとはいえ、
来週ぶっつけ本番で伴奏(勿論チェンバロで)せねばならぬので、
楽譜を書き直しています。書き直すといっても、
いつものように編曲ではなく、「要らんもんを削る」という作業。
正直なところ、オケ譜から書き直したいのですが、
歌い手さんとの打ち合わせなしに行うのは非常に危険。
渡されたピアノ譜をチェンバロで演奏出来るように工夫していきます。
勿論面倒な作業ですので、何回か合わせが出来る時等は、
横着することもよくあるのですが、嫌いな作業ではありません。
五線譜に向かうのは好きです。

普段、私は圧倒的に器楽曲と向き合うことの方が多いのですが、
歌詞と全く関係の無い作品を演奏している時でも、
leかlaかlesかdeかよく分からないが、冠詞に見えてくる音符が沢山あります。
aかanかtheか、eenかhetか分からないけど... ^_^;

音符を書いて行き、勿論歌い手さんが歌う歌詞も書いているのですが、
「冠詞に見える音符」と「歌詞の冠詞」の一致率は100%
言語と音符の密接性を痛感します。

ということは、歌詞を手がかりに、バロック・オペラは、
オーセンティックな慣習を探ることも出来る筈。
(だから修辞学が必要なのねと痛感します... (切実) )

... ということは、ルールを打ち合わせ出来ない器楽奏者とチェンバロ奏者が
演奏するよりも、歌い手さんとチェンバロ演奏する方が円滑な筈...

初合わせの歌手が素晴らしい歌手でありますように(^^) 楽しみです。