良質の種と環境

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 今年のスケジュールに何かを入れ忘れている...と思っていたのですが、ブログの更新リマインダーでした...。三ヶ月坊主になることは予想がつくのだけれども、リマインダーに動かされてみるのも私には必要である。
 最近の主なミッションは先生業と今年のコンサートの事務といった具合。まだ詳細は話せませんが、今、一気に複数のプログラム組みを考えているところです。コンサートの時間を楽しんで頂けて、作品と楽器の良さを分かって頂けるように...これがどんな主旨のプログラムであっても共通するものです。
 合間に自宅のタスカン(フレンチスタイルのチェンバロ)の調整を少しずつ少しずつ行っております。写真がその楽器です。私はこういう作業においてこの上なく不器用なので、最終的には技術者さんの助けを求めなければいけませんが、上鍵盤のプレクトラム(弦をはじいている爪のような部品)が弱ってきているので、特に気になる部分から交換しています。この作業をするには、私が最も苦手な古いプレクトラムをジャック(爪が付いている部品)から抜く作業があるので、重い腰でしたが、昨年末から頻繁に折れるようになり、やっと腰を上げました。気長に構えているので、途中で技術者さんに丸投げするパターンになる気がしないでもないが...。
 近況としては、こんな感じですが、やや毒舌文になるけれども「種が無ければ、最高の環境があっても作物は出来ない。良質の種があっても、良い環境がなければ良質の作物は育たない。そこそこの質の種があっても、良い環境があれば美味しい作物が出来る可能性がある」といったことを最近考えています。むろん農作物を育てようという訳ではございませんが。「良質の種があっても、良い環境がなければ良質の作物は育たない」を中でも最も考えています。「良質の種」=「素晴らしい音楽作品」、「良質の作物が育つ」=「音楽作品が聴き手の心に染み入るようなこと」だとしたら、「良い環境」の一役は奏者にあって、物理的なことよりも担う比重は大きいのではないか...こんなことを考えています。チェンバロ演奏を教える立場としても、やはり環境の立場であることは当然否めないですね。良い環境の為にももっと高めなければ...と思う次第です。