juli 2008アーカイブ

「上と下の鍵盤、一緒に動いているみたいに見えますが...」

アンケートや頂くメールで最も多い質問です。

チェンバロの鍵盤は、上鍵盤と下鍵盤、一緒に動くように見えるんじゃなくて、一緒にも動きます (笑)

チェンバロのしくみは、私がお答えするよりも、チェンバロ製作家さんのサイトを御覧になられた方が、 分かりやすいと思うので、詳説は割愛致しますが、 ヒストリカル・チェンバロの二段鍵盤式の楽器には、 通常、上鍵盤と下鍵盤に、同じ高さの音がする弦 (8'弦と呼ぶ)がそれぞれ張られています。

... 又、たいていの二段鍵盤チェンバロの下鍵盤には、 オクターブ高い音の弦(4'弦と呼ぶ)も張られているのですが、この話は、今回は蛇足なり。

下鍵盤と上鍵盤、同じ高さの音が出るのですが、
(☆ 二段も鍵盤があって、音域が広いんですねーと言われますが、 エレクトーンのような仕組みではないことも、蛇に足を生やしておこう(笑) )
それぞれ微妙に音色が違うように、調整されています (通常は。)

8'弦1本でも、演奏しますが、より分厚い音で演奏したい時に、 上鍵盤と下鍵盤を一緒に動かすレジスターを用い、8'弦2本を鳴らして演奏します。
これが「上鍵盤と下鍵盤が一緒に動いている」状態での演奏です。

ちなみに、下鍵盤をぐっと押し込むことで、上下連動させる仕組みになっている楽器が、 最近では多く作られているように思います。どのような操作で連動するのかは、本当は楽器によって異なります。

プレイヤーの近くの席に座られた方は、そんなところも、演奏会で見てみてください(^^)


またまた蛇足ながら、4'弦を加えた音色で演奏することもあります。

通常
 ・ 下鍵盤の8'弦+4'弦
 ・ 上下鍵盤の8'弦2本+4'弦

という音色の使い分けがあります。

これに加えて、チェンバロには、
 ・ 上鍵盤の8'弦1本
 ・ 下鍵盤の 〃
 ・ 上下鍵盤の8'弦2本
・ バフストップ(ミュートをかけたような音がする)を用いた8'弦
     (☆楽器によってバフがかかるのは上だったり、下だったり。両方にかかる楽器もあります)
めったに使わないが、
 ・ 4'弦1本。

以上、7種類の音色を使い分けることが出来ます。

これに、奏者の指先で弾き分ける音色が、各々に、無限に加わります(^^)


「へぇーチェンバロの奏者なんですかー」

「チェンバロって大きい楽器ですよね」
「持ち運ぶの大変でしょう?」

いずれも私は「はい」と答える。

チェンバロを御存知なのだと内心嬉しく思いながら、返事をする。

「チェンバロってね、オーケストラのしか聞いたことなくて、独奏って聞いたことないんですよね」

あーそうですか (^^) と答えながら、
おぉ、バロック音楽を生演奏で聴かれたことがあるんだなぁ~
とこれまた嬉しく思う。

「こう、沢山のチェンバロの人がオケで弾いてますでしょ。
 チェンバロって一人だと小さい音なんですか?」

は? へ? (?_?)

ここで、私は、相手が、チェンバロとチェロとを間違えてらっしゃることに、はじめて気付く。

音楽好きなんですよ(^^) とおっしゃって、お話が弾むことも多いが、
まだまだチェンバロという楽器を御存知の方は少ないと痛感する。

「チェンバロはね、弦は張ってありますけれども、鍵盤楽器なのですよ(^^)」

チェンバロ cembalo (独)は、フランス語ではクラヴサン Clavecin、
英語ではハープシコード Harpsichordと呼ぶ、
ピアノが産まれる前に盛んに用いられた鍵盤楽器である。
形状はピアノの前身なのだが、内部構造が違う。
ピアノは、弦をハンマーで打って音を出すのだが、チェンバロは弦を爪がはじいて音を出す。
鍵盤の先...これは楽器の中に入っているものだから、外からは見えないけれども、
先に繋がるものが、爪なんですよ。

私は説明が上手ではないので、大抵「?」な顔をされる。
一度見て頂けたら、疑問は一気に吹っ飛ぶと思うのですが f(^^;;

「どんな音なのですか?」

音の種類は、弦をはじいて音を出すので、ハープやギターやお琴...と似通っていますが、
これまた聴いて頂くのが一番良いかと... 良かったら一度、演奏会にお越しくださいな(^^)


勿論、宣伝目的など持たずにチェンバロのお話をするのだが、
最後に宣伝するしかないや...となることが多い...。
人の良い方や、本当に「チェンバロってどんな楽器なの?」と思われた方は、
社交辞令でなく、実際に演奏会に足を運んで下さる方も多い。
「チェンバロ お初」が私の演奏となる方がおられる...奏者として責任重大。
チェンバロ自体のイメージを良しとするか悪しとするかは、私の演奏次第...
チェンバロという楽器を一人でも多くの方に知って頂きたい...と思ったと同時に、
重大な責任を負ったのだと、私は思っている。
(2000)

移調の謎

Category:

Comments [0] | Trackbacks [0]


J.S.バッハの作品に「BWV1030」の作品目録番号が割り当てられている作品がある。
一般に言う「h-moll(ロ短調)のフルート・ソナタ」のことだ。
この作品は皆様よく御存知だと思うけれども、オーボエ用の異稿譜というのがある。 こちらはg-moll(ト短調)。
蛇足だが、それは学生時代の試験の場ではあったが、私がチェンバロで最初にアンサンブルとして、 「聴いてもらう為に」演奏した作品だった。旋律楽器はバロック・オーボエ。 その後、モダン・オーボエとも弾くことがあったし、何かと縁深い曲でもある。
フルートとは、当然 h-moll、ヴォイス・フルートともh-moll、オーボエとはg-mollで弾く。
そして、リコーダーと共に演奏する時は、c-mollになる。

何故、調が各々異なるのか?

...という質問が時々あるのだけれども、それは、こういったアンサンブル曲の場合、 旋律楽器の特性(主に音域の問題)に合わせて、移調を行う(適切な調性を選択する)。
音域の問題と言っても、単に「この音が出るかどうか」という問題だけでなく、 演奏可能な音域であっても、特に管楽器は音域によって音色特色が異なるため、 その有効な音色音域を用いるために、適切な調を選択されることもある。
こういう言葉にすると難しいけれども、簡単に言えば
「より映える調性で演奏する」
というところに理由があると思う。
鍵盤楽器というのは、大多数が他の種類の楽器に比べて、 あまり演奏可能音域内での音域特性というのは無い。 面白い例があって、J.S.バッハはイタリアの協奏曲作品を鍵盤独奏に編曲したものが残っているのだけれども、 鍵盤なら音域に特に問題がある場合を除いて(チェンバロは意外と最高音は低い)、 移調する理由はあまり見当たらなさそうなのだけれども、何故か他の調を選択されている場合がある。
その理由の一つには、調性感の問題があるかもしれない。
厳密に言えば、楽器ごとに、その得意不得意とする調があって、 他の楽器に比べて、鍵盤楽器にその得意不得意の障壁は少ないにしても、 各々の調で表現される世界というのが各々にあると思う。
しかし、楽器全般的に、調性の特色は、ほぼ一貫したものであって、 そう考えると何故移調するのか? という疑問点が残ってくる。

ちなみに、ロマン派の時期になって、リスト等にもその作品は残るが、 管弦楽の為の作品(オペラ作品を含む)をピアノで演奏するパラフレーズ作品に、 移調されて書かれている例もある。ピアノは、オーケストラの全音域をカヴァー出来ると言われる程に、 音域が広いので、演奏可能音域等の問題は横たわっていない筈である。

ところで... 2006年の現時点において、私が最も複数の調で演奏する機会のある作品というのが、 このBWV1030のソナタなのだけれども、やはり鍵盤楽器にも物理的な調の得意不得意があるのではないかと、 やんわりと感ずるようになってきた。
正直なところ、鍵盤楽器においては、何調でも演奏可能だとは思う。 しかしながら、h-moll、g-moll、c-mollのうち、一番理にかなっているものは、 原調と思われるh-mollなのだ。理にかなっているつまり、指に無駄な動きがないのである。 これは物理的な結果論だけれども。
J.S.バッハは、皆様御存知の通り、鍵盤演奏にも長けていた音楽家である。
BWV1030のソナタが、フルートの為の調を選択していたとしても、 その調の中でオブリガート・チェンバロを書いて行くにあたって、 最も無駄のない音形が選択されているように思う。
無駄の生じる調で弾いても、鍵盤奏者にとって、99.9%何の問題も起こらないので、 あまり意識しないのかもしれない。

他の楽器の為の作品の鍵盤楽器作品用への移調は、 作曲家の楽器物理的見地からの特性を考慮して選択されているのかもしれない。

しかし...堂々めぐりなのだけれども、十二平均律を用い始める前の時代... 調性ごとの特色性への意識はとても強かったと考えられているのだが、 その見地から考えると疑問が多いに残る。
が、「平均律クラヴィーア作品」に書かれた落書き(?)から導き出されたリーマン調律では、
十二平均律の5度音程も出てくるような提示がされているけれども、我々が考察している程、 調特性への意識が高くはなかったのか...
あるいは...もっと柔軟で、ケース・バイ・ケースだったのかもしれない。

奏者としては、ケース・バイ・ケースで落ち着きたいのだが(笑)、
「そんないい加減な論」と言われそうだが、これは学術考察ではありませんので(笑)

☆ 議論を投げかける記事ではございませんので、あしからず。
(2007)

2007. 8/4公演のBarocco Impression Plus! のProgram Noteをupします。

☆ お若い方へ...
奏者による観点に基づいて書かれたプログラムノートです。 レポートや御自身のプログラムに転載しても、点数や評価は絶対にとれません。


■ ジョージ・フリデリック・ヘンデル : オーボエと通奏低音の為のソナタ 変ロ長調 HWV.357
George Friderich Händel(1685 Halle - 1759 London): Sonata pour l'Hautbois solo (in si bemolle maggiore) HWV.357
I.  II.Grave III.Allegro
生前から現代に至るまで常にバロック時代の大作曲家として評価されているヘンデル。 彼はドイツ出身でイタリアに渡った後にイギリスに帰化した、国際的な作曲家でした。 彼の旋律楽器の為のソナタは、1730年頃にロンドンのウォルシュ(John Walsh)から 出版された12のソナタの他に、ケンブリッジのフィッツウィリアム・ミュージアムにある 3つのソナタと大英図書館に1つのソナタの手稿譜が残存しています。ヘンデルは、 これらのソナタについて「当時の私は悪魔にとりつかれたように作曲していたが、 それらは主としてオーボエのためのもので、オーボエは私が気に入っていた楽器であった」と述べた と伝えられています。今日演奏する変ロ長調のソナタは、 先述のフィッツウィリアム・ミュージアムに手稿譜が残されている作品です。

■ ウィリアム・バベル : オーボエと通奏低音の為のソナタ ト短調
William Babell (ca.1690 London? - 1722 London) : Sonata III for a Oboe witha Through Bass in G minor(ca.1725)
I. II.Air III.Hornpipe IV.Giga
バベルはあまり知られていない作曲家だと思いますが、 イギリスのチェンバロ奏者、教会オルガニスト、ヴァイオリニストであり作曲家・ 編曲者として名を馳せたと伝えられています。彼の父も音楽家で、80歳迄ドルリー・レーン劇場の ファゴット奏者を努めていたそうです。その父親から教育を受けたウィリアム・バベルですが、 一説によるとヘンデルからも教育を受けたと伝えられていますが、 それを裏付ける資料は残っていません。先述の通り、長寿の父に対し、 ウィリアムは33歳で亡くなっています。彼の名声はフランス、ネーデルランド、ドイツにまで 及んでいたようで、幾つかの作品は、これらの地域にて出版されました。本日演奏するソナタは ロンドンのウォルシュより出版された「12のソナタ 第2部」(1725年頃)の第3番として おさめられた作品です。

■ アレッサンドロ・ベゾッツィ : オーボエと通奏低音の為のソナタ ハ長調
Alessandro Besozzi (1702 Parma - 1793/1775 Torino) : Sonata per oboe e basso continuo in do maggiore
I.Andante II.Allegro III.Larghetto IV.Allegretto
17世紀中頃から19世紀中頃まで活躍した音楽家一族、ベゾッツィ家。 その一族の多くがイタリアのパルマやトリノの宮廷でオーボエ奏者として仕えた家系ですが、 アレッサンドロも例外ではないベゾッツィ家の一人でした。父親から教えを受け、 13歳でアイルランド守備隊のオーボエ奏者を務め、その後、1728年から31年までパルマ公の 礼拝堂に仕えました。後にトリノのカルロ・エマヌエーレ3世の宮廷においてオーボエ奏者・ 王室楽器奏者総監督として活躍。又、パリのコンセール・スピリチュエル(18世紀フランスの音楽集団) でも演奏した記録が残っています。
このオーボエ奏者アレッサンドロ・ベゾッツィが残した作品よりハ長調のソナタを演奏致します。

■ フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ : ソナタ 第7番 イ短調
Francesco Maria Veracini (1690 Firenze - 1768 Firenze) : sonata Sesta in la minore(1716)
I.Largo II.Allegro III.Allegro IV.Allegro
イタリアの作曲家・ヴァイオリニストで、音楽家及び画家の芸術家系に生まれた フランチェスコ・ヴェラチーニ。叔父のアントニオも優れた音楽家でしたが、 一族の中でも数少ない、芸術とは無縁の薬剤師であった父の元に生まれました。 ヴェラチーニはフィレンツェで生まれましたが、活動の中心はヴェネチアで、 正規メンバーでもないに関わらず、ヴェネチアと言えば皆さん御存知の教会、 聖マルコ大聖堂でのクリスマス・ミサでソリストとしてヴァイオリンを演奏したと伝えられています。 又、ロンドンのオペラ劇場や、ドレスデンの宮廷でも活躍し、 晩年再びフィレンツェに戻り教会音楽家として活動した作曲家でした。 彼は非常に革新的な作曲家であったと見られており、慣習に縛られない独創的な作品を残しています。 1716年出版の「ヴァイオリンあるいはリコーダーと通奏低音の為の12のソナタ」より本日は第7番を オーボエとチェンバロの通奏低音で演奏致します。

■ヨハン・セバスチャン・バッハ : パルティータ第6番 ホ短調 BWV.830
Johann Sebastian Bach (1685 Eisenach - 1750 Leipzig): Partita VI, e-moll BWV.830
I.Toccata II.Allemande III.Courante IV.Sarabande V.Air VI. Tempo di gavotta VII. Gigue
前半でベゾッツィ、ヴェラチーニらの音楽家一族に生まれた作曲家のソナタを演奏致しましたが、 J.S.バッハも皆様御存知の通り、ドイツ アイゼナハの音楽家一族の一人。 1731年に「クラヴィーア練習曲集 第1部 Erster Teil der Klavierübung」として出版された6つの組曲が、 今日「6つのパルティータ」と呼ばれる曲で、彼の初の出版作品となったものです。 バッハは、チェンバロ曲としては「フランス組曲」「イギリス組曲」など多くの組曲を、 又、ヴァイオリンやチェロリュート、管弦楽の為の組曲も含めると非常に多数の「組曲」を残しています。 「組曲」は、バロック時代においては、幾つかの「舞曲」を並べて組まれた作品のことですが、 「6つのパルティータ」は舞曲形式にとらわれない自由さをもっています。 当時次第に「舞曲」が実際に踊られるものから鑑賞曲へと移行していった時代背景を反映した作品だと 言えるでしょう。第6番は、トッカータで始まり、6つの舞曲、即ちアルマンド、 クーラント、サラバンド、エール、ガボット、ジーグで構成されています。

■ ヨハン・セバスチャン・バッハ : オーボエとオブリガート・チェンバロの為のソナタ ト短調 BWV.1020
Johann Sebastian Bach (1685 Eisenach - 1750 Leipzig): Sonata für Oboe und Obligates Cembalo, g-moll BWV.1020
I.Allegro II.Adagio III.Allegro
前半にお聴き頂いた「ソナタ」は旋律楽器オーボエと通奏低音(:チェンバロ・パートに書かれている 音符は左手で弾く低音旋律のみで、右手の弾く音符は全く書かれておらず、ルールに基づく和音を 基本に、即興演奏していくものが通奏低音。バロック時代及び、それ以前の音楽の特徴で 「バロック時代=通奏低音時代」と言われることもある)による作品でしたが、この作品は 「旋律楽器とオブリガート・チェンバロ」の形で書かれています。この違いは、チェンバロ・ パートの右手に音符が書かれている点。バッハ以降の作曲家による、旋律楽器と鍵盤楽器の為の ソナタに、大譜表で右手と左手の音符がしっかりと指示されていることは、ごくごく当たり前の ことですが、バッハの頃は、この形で書かれた作品は、まだ珍しいものでした。
BWV.1020のソナタは、フルートとチェンバロの為に書かれたものですが、 今日オーボエ奏者のレパートリーとしても、よく演奏されている作品です。



演奏において、楽譜と向き合う際、常に考えていることがある。音符と言語との関連性である。音符は、言葉と同じ「相手に物事を伝えるための一つの道具」であると思っているのだが、音符を言葉に置き換えることが出来るか否か以前に、音符同士の構成や並びは言語と非常に密接であると思う。音楽修辞学という学問分野が存在するが、もっと単純・低次元なところで、リズムや「語り口」を見てみれば音符と言語が密接な関係にあるのは一目瞭然だ。

解りやすいところで言うと、日本語が常に「子音+母音」の連続による「子音+母音+子音+母音+・・・・・・+子音+母音」であるのに対して、ヨーロッパの言語は必ずしも「子音+母音」の連続ではない。そのことに、ちょっと気をつけてみるだけでも、楽譜の読み方は変わる。又、楽譜を読んで行くと、前置詞に相当するような音符も随所に見られる。そんな部分を発見するだけで楽譜の読み方が変わり、必然的に奏でる音楽も変わる。

さて、こんな風に書き出すと、言語学を絡めたお話ですか?と言われそうだが、もっと簡単に「雰囲気」のお話...

ドイツの音楽とフランスの音楽、音楽の趣きが両者で異なるのは一目 一聴瞭然だが、楽譜を見てみてもその趣向が異なるのが一目瞭然。
19世紀や20世紀音楽の楽譜も何だか音符の並びが違うねぇ...という印象を受けるが、それくらいに、バロック期の楽譜もドイツとフランスの両者では随分図柄が異なる。よくカフェやアンティークショップのディスプレイなど、インテリア感覚で楽譜が使われていることがあるけれども、その感覚で両者を見比べれば、本当に別のものに見えると思う。
何が図柄を変えているのか...特に18世紀作品において、フランス作品には実音符以外の小さな音符が沢山あるのに対し、同方向性の作品におけるドイツ音楽の楽譜では実音符で真っ黒に埋め尽くされてしまっている。フランス作品にある実音符以外の「小さな音符」は装飾音を意味するものだが、ドイツの人は真面目だから、装飾も全部書き出したため、こんなにも真っ黒になったらしい...という意見がある。この説、では、フランス人は真面目ではないのか!? という失礼な説だと私は思うのだが、失礼にあたるかどうかは、さておき、実際のところ例えばJ.S.バッハの「イタリア協奏曲」の第2楽章など、音符の中から「装飾であるもの」を見つけ出さねばならない。

この「装飾をどう書くか」は、むろん「お国柄」の現れではあるが、言語にも結びついているのではないだろうか。私のような言語学に疎く、又、語学脳も持ち合わせてはいない人間にとって、母国語以外の言語は、耳にしても「言語」である以前に「音」としてしか聞こえないのだが、フランス語は発音の移動が小さく聞こえるのに対して、ドイツ語は短い音節の言葉も非常にはっきりと聞こえる(あくまでも私の意見。学問的にはどうかは分かりませんが...)。装飾もフランス作品では、小さな音符によってニュアンスを出そうとしているのに対し、ドイツ作品では装飾も明確に、彼らの中では自然発生的に実音の中で書こうとしたのではないだろうか?

あくまでも推測でしかないが、当時、音楽の先端はフランスにあったらしい。だからフランスの語法がドイツに入って生じたものは一体いかなるものなのかを考える必要があるのだが、そこを論ずる前に、もっと根本的なところも見るべきではないだろうか。
言語と音楽の関連は、テキストや修辞学の問題ではなく、「音」そのものにとって重要な事柄のように思う。あくまでも音楽芸術は文化の一つであり、文化は社会というベースが存在してこそ成立するものなのだから...。
(2007/08/16 Seiko NAKATA)


« mei 2008 | メインページ | アーカイブ | juli 2009 »