Musicologyのタイトルですが、ここで綴っているのは音楽「学」ではなく音楽「考」です。

Musicologyの最近のブログ記事

2013.12.21開催 (於 アンリュウリコーダーギャラリータケヤマホール)
中田聖子チェンバロリサイタルVol.11 Art of J.S.Bach V
「J.S.バッハ『フランス組曲』全曲演奏会」プログラムノート
 
 
「J.S.バッハの 『フランス趣味』で書かれた6つの組曲」中田 聖子
 
 本日はリサイタルにお越しくださり、ありがとうございます。今回選んだプログラムはヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750]の「6つのフランス組曲」全曲演奏です。J.S.バッハは「6つのパルティータ」「6つのイギリス組曲」「フランス風序曲」をはじめ、沢山のチェンバロのための舞曲組曲を残しています。その中でも「6つのフランス組曲」はシンプルな小規模構成で、非常に親しみやすいタイプの組曲集だと思います。そして、彼の舞曲組曲の中でも最も「撥弦楽器であるチェンバロ」の楽器特性を生かして書かれている作品です。
 この「6つのフランス組曲」は、J.S.バッハが30代後半であった1722年頃から書かれ始めたと考えられており、残存する最も初期の稿は新しい妻に贈った「アンナ・マクダレーナ・バッハの為の音楽帳 第1巻 Clavier-Büchlein vor Anna Magdarena Bachin, Anno 1722」に見ることが出来ます。但し、ここに残るのは第1番から第5番迄で、第6番は欠落しています。しかし、音楽帳の後ろ部分40ページ近くが取り除かれている為、その中に第6番が記されていた可能性はゼロではありません。この音楽帳が書かれた1722年頃はバッハが非常に教育に熱心であった時期で、同年「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」、翌年「インヴェンションとシンフォニア」が書かれており、これらの作品同様に「6つのフランス組曲」もまた弟子達と妻アンナ・マクダレーナの教育プログラムの要素を持っていたと考えられています。
 彼の自筆によって残っているものはこの音楽帳のみですが、彼の弟子達、即ち、ヨハン・カスパル・フォーグラー Joann Kaspar Vogler [1695/6-1765] (最も古い弟子)やヨハン・クリストフ・アルトニコルJohann Christoph Altnickol [1719/20-59] (弟子であり四女の婿)による筆写譜、そして、恐らくヨハン・シュナイダーJohann Schneider [1702-1788]によるものと思われる筆写譜が残っています。また、これらと共に「アンナ・マクダレーナ・バッハの為の音楽帳 第2巻(1725)」に妻によって記されたものが残っており、それらからは幾度もJ.S.バッハが改作したことが伺われます。つまり、数種の異稿が残っている訳ですが、本日はJ.C.アルトニコルの伝承稿で演奏致します。多くの筆写譜は弟子による発展稿である可能性もあるため、比較的初期の形に近いものを選択するとアルトニコル稿であること、又、他の筆写譜には欠落組曲があるのに対し、6組曲全てが揃っていて、且つ、1番から6番までが順に並んでいることも稿選択の理由です。
 さて「6つのフランス組曲」と呼んでいるこの組曲、作曲家自身によるタイトルではないことは よく知られていると思います。音楽帳の自筆譜を見ますと、どの組曲にも「Suite pour le Clavessin (クラヴサン[=チェンバロ]のための組曲)」と記されており、確かに「フランス組曲」とは書かれていません。初めてこの呼び名が記載されているのは、バッハ家と親交のあった音楽理論家フリードリッヒ・ウィルヘルム・マールプルクFriedrich Wilhelm Marpurg[1718-1795]の1762年の論文においてで、J.S.バッハの没後からそう時が経過せぬうちに「フランス組曲」と既に呼ばれていたことが想像出来ます。その後もフランス趣味で書かれていることから「フランス組曲」と呼ばれ、今日に至るようです。「フランス趣味」については様々な視点・見解がありますが、私自身は舞曲の形式そのもののフランス趣味以上に「チェンバロ作品としてのフランス趣味」を持つ組曲集である、と考えております。
 チェンバロ作品における「フランス趣味」の大きな特徴として挙げられるのは、「スティル・ブリゼ Style brisé」による書かれ方です。スティル・ブリゼは、リュートで用いられた分散奏法やつま弾きをチェンバロで模倣するような書法のことで、ルイ・クープラン Louis Couperin[ca.1626-1661]やジャン=アンリ・ダングルベール Jean-Henry D'Anglebert[1628-1691]といった17世紀フランスの作曲家達によって用いられました。そして、この17世紀フランスのチェンバロ作品の様式は、ヨハン・ヤーコブ・フローベルガー Johann Jacob Froberger[1616-1667]のような一部の17世紀のドイツの作曲家のチェンバロ作品にも流入していきます。彼らから後のJ.S.バッハもまたスティル・ブリゼをチェンバロのための舞曲作品に取り入れていますが、特に顕著に現れているのがこの「6つのフランス組曲」だと思います。チェンバロは「リュートに鍵盤が付いたような楽器」という考え方があり、奏者は常に鍵盤の奥にある見えない部分での撥音を考え乍ら演奏しています。その面において、リュートの模倣奏法であるスティル・ブリゼは撥弦楽器チェンバロの特性をより生かせるものであり、それ故にJ.S.バッハの鍵盤作品における最もチェンバロらしさを要求するものとして「6つのフランス組曲」を挙げることが出来るのではないか、と思います。又、スティル・ブリゼに着目すると自然に必要となることですが、フランスのチェンバロ作品において要求される独特の幾つかの奏法を用いるとより効果的に演奏出来る箇所が多く、これも「フランス趣味」の要素に数えて良いのではないか、と感じております。
 ところで、J.S.バッハの主要なチェンバロ組曲の舞曲構成には次のような特徴があります。まず前奏曲類で書き始められ、その後第一舞曲にアルマンドが置かれ、クーラントとサラバンドが続きます。そして、サラバンドの後「ギャラント」と呼ばれる様々な舞曲が置かれ、ジーグで締めくくられます。
 しかし、6つのフランス組曲には、前奏曲類がありません。「6つのパルティータ」や「6つのイギリス組曲」の各々の前奏曲類として書かれたものは比較的長大なものが多く、それが無い為にフランス組曲は小規模に纏まっているとも考えられますが、果たしてアルマンドの前には何も弾かなかったのでしょうか? 第1番や第4番のアルマンドはプレリュードの性格を持っている、と見ることも出来るのですが、スティル・ブリゼに見られる17世紀フランスのチェンバロ作品からの影響を考えますと、舞曲組曲として演奏する場合には即興的な何らかの前奏を伴っていたようなので、「フランス組曲」にも即興的な前奏を伴っていたのではないか、と想像することが出来ます。しかしながら、J.S.バッハ先生の大作に相応しいプレリュードを即興演奏するだけの力を私は持ち合わせていませんので、本日は「平均律クラヴィーア曲集 第2巻 より 『第5番プレリュードとフーガ ニ長調 BWV874』」を組曲集の前奏として弾かせて頂くことに致しました。
 さて、前奏に謎があれば、終曲にも謎がある......。第6番ではギャラント舞曲(サラバンドとジーグの間に置く挿入舞曲)であるメヌエットが先述の舞曲構成のルール通りではなく、ジーグのあとに置かれています。第6番のメヌエットを終曲とするか、或は、この舞曲構成配置は筆写時の間違いでギャラントであると見るか......。第6番の自筆譜が残存しない為、研究者や奏者によって様々な考え方があるのですが、本日は終曲として演奏致します。フランスの組曲をはじめとする作品には可愛らしいメヌエットが終曲として置かれ、余韻を楽しむかのようなものが多くあります。第6番のメヌエットもそのような性格を持っており、「フランス趣味」の組曲集に相応しく書かれているのではないでしょうか。
 幾つかの謎が孕む「J.S.バッハのフランス趣味」と彼が求めた「撥弦楽器チェンバロらしさ」を、この「6つのフランス組曲」で皆様にお届け出来ますと幸いです。

(解説・文 : 中田 聖子 チェンバロ奏者)

===== Program =====

ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685-1750)
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

・平均律クラヴィーア曲集 第2巻より第5番
 プレリュードとフーガ ニ長調 BWV874
 Das Wohltemperierte Klavier II, Nr.5
 Praeludium und Fuga, D-dur, BWV874


「6つのフランス組曲」BWV812-817
  (アルトニコル伝承稿使用)
Die sechs Französischen Suiten BWV812-817
  (Ältere Gestalt nach Altnickols Überlieferung)


・第1番 ニ短調 BWV812
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.メヌエット I-II  5.ジーグ
 Suite 1. d-moll , BWV812
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Menuet I-II 5.Gigue


・第2番 ハ短調 BWV813
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.エール 5.メヌエット 6.ジーグ
 Suite 2. c-moll , BWV813
 1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Air 5.Menuet 6.Gigue

・第3番 ロ短調 BWV.814
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.メヌエット - トリオ
  6.ジーグ
 Suite 3. h-moll, BWV 814
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Menuet - Trio 6.Gigue

-- 休憩 Interval-

・第4番 変ホ長調 BWV815
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.エール
  6.ジーグ
 Suite 4. Es-dur, BWV 815
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Air
  6.Gigue

・第5番 ト長調 BWV816
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.ブーレ 6.ルール
  7.ジーグ
 Suite 5. G-dur, BWV816
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Bourrée
  6.Loure 7.Gigue

・第6番 ホ長調 BWV.817
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.ポロネーズ 
  6.ブーレ 7.ジーグ 8.メヌエット
 Suite 6. E-dur, BWV817
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Polonaise
  6.Bourrée 7.Gigue 8.Menuet


Harpsichord : Flemish Style, "Ruckers" Double Manual by Akira Kubota
Tune : a'=415 Hz, Young II
Tuner : Tomoko Sakuma

2013.06.19開催 ムジークフェストなら2013' 秋篠寺コンサートのプログラムノートとして書いたものです。

「J.S.バッハのチェンバロ音楽」ーJ.S.バッハの3つの作曲スタイルー 中田 聖子 Seiko NAKATA

 本日はコンサートにお越しくださり、ありがとうございます。バロック時代に活躍した鍵盤楽器チェンバロの作品として特に知られているものはJ.S.バッハの作品だと思います。今回のムジークフェストなら2013' 秋篠寺での演奏にあたり、たっぷりJ.S.バッハの曲をお聴き頂こうと、本日はオールJ.S.バッハ・プログラムを組ませて頂きました。又、バッハの3つの作曲スタイルを御紹介したく選曲しております。3つのスタイル、即ち、1つは北ドイツの先人作曲家達から受け継いだ厳格な対位書法のスタイル、2つ目はイタリアから影響を受けた協奏曲のスタイル、3つめはフランスからの影響を受けた舞曲のスタイルです。

1. トッカータニ長調 BWV912  Toccata D-dur, BWV912 [対位書法のスタイル]
 バッハの曲と言えば、オルガンのトッカータとフーガのジャンルの作品が鍵盤曲ではよく知られていると思いますが、チェンバロ用のトッカータも数曲残っています。その中から今日はニ長調のトッカータBWV912を選曲致しました。面白いことに、このトッカータBWV912のファンファーレのような冒頭は「オルガンのためのプレリュードとフーガ ニ長調BWV532」のプレリュードの冒頭とよく似ています。BWV912のトッカータは、6つの部分から構成されている、と考えることが出来ます。先述の冒頭部分、そしてアレグロのリズミカルな対位書法の部分、3つ目がアダージョのレチタティーヴォ風の部分、そして続く美しいフーガの部分、再びレチタティーヴォ風の部分が登場し、ジーグのダンスのリズムで書かれたフーガの部分で締めくくられます。1曲の中に登場する様々な部分に耳を傾けて頂けますと幸いです。


2. イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 Italianisches Konzert F-dur, BWV971 [協奏曲のスタイル]
 チェンバロ曲で最も知られている曲は、もしかしたらこの「イタリア協奏曲」かもしれません。正しい原題は「イタリア趣味による協奏曲」。バッハがヴァイマールの宮廷に仕えていた頃に行なった、A.ヴィヴァルディやA.マルチェロらイタリアの作曲家達の器楽協奏曲のオルガンやチェンバロ独奏用への編曲仕事がヒントとなり、この曲が書かれたのではないか、と考えられています。チェンバロ作品の多くにはレジスター(弦の本数を選択する機能)の指定が書かれていませんが、この曲には「f 」と「p 」が書かれており、「f 」では二本以上の弦を使用して演奏、「p 」では1本の弦で演奏することを示していると解釈されています。これによって、協奏曲のトゥッティ(全体合奏)とソロ(独奏)の対比を表現するように作られた作品である、と考えられています。第1楽章と第3楽章では二段鍵盤の上下鍵盤を行き来して演奏します。鍵盤や私の手元が見える位置に座られている方は、是非上下鍵盤の使用にご注目ください!


3. A.マルチェロの協奏曲に基づくチェンバロ独奏の為の協奏曲 ニ短調 BWV974[協奏曲のスタイル]
 Concerto d-moll, BWV974 nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
 「イタリア協奏曲」の作曲着想となったと考えられている協奏曲編曲群の中から、この曲を選曲しました。ヴァイマールでの協奏曲編曲について少し詳しくお話致しますと、バッハがヴァイマール宮廷に仕えていた時のこと、君主の甥ヨハン・エルンスト公子が留学先のオランダで出版されたA.ヴィヴァルディの「調和の霊感」をはじめとするイタリアの器楽協奏曲の楽譜を持ち帰ってきました。当時はイタリアやフランスが音楽の流行を牽引しており、A.ヴィヴァルディ、A.マルチェロ、B.マルチェロ、G.トレッリらの協奏曲は最先端の音楽でした。エルンスト公子はアムステルダムで、器楽協奏曲をオルガン1台だけで演奏するJ.J.de グラッフ(Jan Jakob de Graff 1672-1738)の演奏を聴いたらしく、鍵盤楽器1台での協奏曲演奏に興味を持ちました。そこで、師のヴァルター(Johann Gottfried Walther 1684-1748)とバッハに、持ち帰った協奏曲の鍵盤独奏用編曲を依頼した、と伝えられています。こうして書かれたのがバッハの17曲の「チェンバロ独奏用協奏曲 BWV972-987, 592a」と6曲の「オルガン独奏用協奏曲 BWV592-297」です。今日演奏する協奏曲BWV974は、アレッサンドロ・マルチェロ(Alessandro Marcello 1684-1750)のオーボエ協奏曲を原曲としています。このような経緯で書かれた協奏曲ですので、通常協奏曲に登場する弦楽合奏を伴わない、チェンバロ独奏用協奏曲として書かれています。


4. 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903 Chromatiche Fantasie und Fuge d-moll, BWV903 [対位書法スタイル]
 この曲もまたバッハの鍵盤曲の代表作として挙げられる曲だと思います。印象的なパッセージで始まる幻想曲と、「A B H C CH C (続)」の半音階進行のテーマで書かれるフーガ。フーガを代表する対位書法の作品では、バッハは北ドイツの先人作曲家の影響を強く受けています。その17世紀の北ドイツの作曲家たちに強い影響を与えていた作曲家にネーデルランドのJ.P.スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck1562-1621)がいました。スウェーリンクもまた「半音階的幻想曲」を残しています。先達の作品をよく研究していたらしいバッハ、彼の作品に何らかの着想があったのかもしれません。
 ところで、20世紀に入る迄、コンサートで演奏される作品の多くはその時代の作曲家の作品でした。19世紀もまたそうで、バッハをはじめとするバロック時代の作品は殆ど演奏される機会がなかったと伝えられています。しかし、バッハのこの「半音階的幻想曲とフーガ」だけは19世紀にも人気が高かった、という話も伝わっています。

5. フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814 Französischen Suite III h-moll, BWV814 [フランス舞曲スタイル]
 バッハは17世紀フランスの舞曲組曲から影響を受けた作品を多数残しています。その代表が「6つのフランス組曲 BWV812-817」と呼ばれる組曲集です。チェンバロは弦を撥いて音を出す撥弦鍵盤楽器ですが、17世紀フランスのチェンバロ作品では、バッハも好んでいた撥弦楽器であるリュートのつまびきの模倣や分散奏法が取り入れられ、より撥弦の特徴を行かしたものが数多く書かれました。バッハの「フランス組曲」にはこうしたニュアンスが取り入れられており、「フランス趣味」で書かれた組曲である、と考えることが出来ます。バッハのチェンバロの為の組曲集には「6つのパルティータ」「イギリス組曲」「フランス組曲」の3曲集がありますが、中でも最も撥弦楽器の特徴を生かしたスタイルの作品がこの「フランス組曲」であると思います。
 組曲は、幾つかの舞曲で構成される作品です。今日演奏する第3番は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット、メヌエット と トリオ、ジーグの6つの舞曲で構成されています。最後に簡単に第3番に登場する舞曲について記しておきます。

・アルマンド: ドイツ伝統の4拍子の舞曲で、男女のペアが腕を様々な形を組んで踊ったものでした。
・クーラント: イタリア様式のもの(コレンテ)とフランス様式のものがありますが、フランスのものは3拍子系の舞曲で、17世紀迄は貴族に愛された舞曲でした。
・サラバンド: スペイン起源とされる3拍子を基本とする舞曲で、ルイ14世の時代には情熱的なエネルギーを秘めつつも荘重な舞曲として踊られたものでした。
・ガヴォット: 4拍子系の舞曲で、時代を経ると共に他の舞曲が変遷し、テンポや性格さえ変わってしまったものがあったにも関わらず、常に跳躍を含んで踊られた舞曲です。?
・メヌエット: 宮廷舞踊の花形として長きに渡って踊られたバロック宮廷舞踏を代表する舞曲。男女ペアで踊る舞曲で、少なくとも18世紀末まで踊られ続け、後にはワルツへと発展していきました。?
・ジーグ : イギリス起源の跳躍を多く含む舞曲。バロック時代には最も人気があった舞曲だと伝えられています。

( 曲目解説 : 中田 聖子 )

使用楽器 : 久保田彰 2002年製作 リュッカースモデル 二段鍵盤チェンバロ
調律法 : a'=415Hz 1/6PC


「J.S.バッハのチェンバロ音楽」
(オール・J.S.バッハ・プログラム)

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

トッカータ ニ長調 BWV912 Toccata D-dur, BWV912

イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
第1楽章 / 第2楽章 アンダンテ / 第3楽章 プレスト
Italianisches Konzert F-dur, BWV971
I. / II. Andante / III. Presto

A. マルチェロの協奏曲に基づくチェンバロ独奏の為の協奏曲 ニ短調 BWV974
第1楽章 アンダンテ / 第2楽章 アダージョ / 第3楽章 プレスト
Concerto d-moll, BWV974
nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
I. Andante / II. Adagio / III. Presto

半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
Chromatiche Fantasie und Fuge d-moll, BWV903

フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814
アルマンド / クーラント / サラバンド / ガヴォット / メヌエット - トリオ / ジーグ
Französischen Suite 3 h-moll, BWV814
Allemande / Courante / Sarabande / Gavotte / Menuet - Trio / Gigue

チェンバロ 中田 聖子 Seiko Nakata

2013.05.25開催「J.S.バッハへの憧憬」公演 プログラムノート by 中田 聖子

『バッハのトリオ・ソナタ術』

 バッハとリコーダー
 リコーダー1本とチェンバロでヨハン・セバスチャン・バッハの音楽を奏でようと思いますと、オリジナル曲が残存していない為、何らかの彼の作品をアレンジするという方法になります。そこで本公演では「オルガンの為のトリオ・ソナタ」「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」「リュートの為のパルティータ」から計4曲を選曲し、プログラムを組むことに致しました。
 18世紀まで「フラウト Flauto笛」と言えば、縦笛のリコーダーのことでした。現在「フルート」として誰もが思う横笛については「フラウト・トラヴェルソ Frauto Traverso 横笛」、つまり、わざわざ「横向きの笛」と呼んでいました。しかし、18世紀に入り次第にフラウト・トラヴェルソがヨーロッパ各地の宮廷で流行し始め、バッハの時代ではリコーダーは既に「古い楽器」となっていたようです。バッハがリコーダーの為のソロ作品を残していない1つ理由には、そういった時代背景があると考えられています。しかし、バッハは「ブランデンブルグ協奏曲」第2番と第4番、又、その第4番を原曲とする「チェンバロ協奏曲 ヘ長調 BWV1049」、そしてミュールハウゼン時代の初期のカンタータである「神の時こそ最上の時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Actus tragicus) BWV106」やワイマール時代の「狩のカンタータ(楽しき狩こそ我が悦び Was mir behagt, ist nur die muntre Jagd! ) BWV208」、ライプツィヒ時代の「マニフィカト」の初稿(BWV243a)や「マタイ受難曲」など、現在確認されているだけでも25曲のカンタータ、つまり、協奏曲とカンタータのジャンルにおいてリコーダーを用いています。彼はこのような大編成作品の中でリコーダーを用いることを好み、そういった用法においてリコーダーを生かすことに長けていたのかもしれません。


 バッハのソナタ と オブリガートチェンバロ付きソナタの誕生
 バロック時代のソナタの多くは、旋律楽器のパートと通奏低音パートの編成で書かれていました。「旋律楽器と通奏低音のためのソナタ」の楽譜は、例えば下記のJ.S.バッハの「ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ ホ短調BWV1023」の譜面のように、ヴァイオリンのパートとバスのパートで書かれているのですが、バスのパートには数字が付されています。これを数字付低音譜と呼び、チェンバロやオルガン、リュートなどの和音楽器の通奏低音パートはこの楽譜を見て演奏します。数字はコードネームのようなもので、一定のルールに従ってバス旋律に和音を補充し、時には数字を元にオーナメントも加えて演奏します。つまり、通奏低音パートを担当する際のチェンバロ奏者の右手の音や左手の内声音は即興によって演奏していきます。



↑J.S.バッハの「ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ ホ短調BWV1023」第2楽章のマニュスクリプト


しかし、バッハの旋律楽器1本のソナタには、通奏低音伴奏付きのこの種のソナタの他に、もう2種類ありました。1つは無伴奏のソナタ、もう1つは「オブリガート・チェンバロ付きのソロ・ソナタ」です。バッハは、通奏低音演奏において右手で新しい旋律声部を作り出すことを好み、又、その旋律声部は新たな対位法で彩るかのようなものであった、と伝えられています。つまり、バッハが通奏低音を担えば、ソロ・ソナタは事実上トリオ・ソナタとなっていた、と考えることが出来ます。この彼自身の演奏習慣は、新たな形のソナタを生み出したようです。新たな形のソナタ、即ち、旋律楽器奏者とチェンバロ奏者の二人で3つの旋律を奏でる「オブリガート・チェンバロ付きのソロ・ソナタ」です。この種のソナタでは、チェンバロの右手の旋律が記され、右手は旋律楽器奏者とデュオを奏で、チェンバロの左手でバス旋律を奏でます。バッハのこの種のソナタの作曲過程を示すものとしては、「2本のフルートと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ト長調BWV1039」が改作され書かれた「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタ ト長調 BWV1027」でしょう。彼はヴィオラ・ダ・ガンバの作品の他、フラウト・トラヴェルソ、そしてヴァイオリンの作品も6曲この形で残しています。本日はこの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」から二曲を選択して演奏致します。


ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ
 6曲のオブリガート・チェンバロ付きのヴァイオリン・ソナタ(BWV1014-1019)は、音楽好きの君主アンハルト・ケーテン侯レオポルトの宮廷楽長として仕えていたケーテン時代の1717年に初稿が書かれました。ケーテン時代には、「管弦楽組曲」「ブランデンブルグ協奏曲」「フランス組曲」、そして、多くの協奏曲が書かれ、音楽好きの君主の元で沢山の世俗音楽を書いたと考えられています。しかし、幼少期にルター正統派の厳格な教育を受けた彼に対し、カルヴァン改革派に属していた領主の元ではカンタータを書くことが極端に少なかった為、必然的な作曲活動であったのかもしれません。


「ソナタ 変ホ長調 BWV.1019」(原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019)
 プログラム順ではなく、2曲目に演奏する「ソナタ 変ホ長調BWV.1019」からお話致しますが、これは「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019」をアレンジしたものです。第6番のソナタはケーテンで初稿が書かれた後、少なくとも二度書き直されており、本日は最終稿を変ホ長調に移調して演奏致します。
 初稿は「1.プレスト 2.ラルゴ 3.カンタービレ 4.アダージョ 5.プレスト(1楽章と同一)」という楽章構成でしたが、3楽章と4楽章は今日演奏する最終稿とは全く別の音楽でした(初稿=BWV.1019a)。その後、第2稿がバッハの最後の土地となるライプツィヒで書かれ (1731年より以前に書かれたと考えられる)、「1.ヴィヴァーチェ(音楽はそのまま) 2.ラルゴ(初稿と同じ) 3.チェンバロ独奏(最終稿とは異なる) 4.アダージョ(初稿と同じ) 5.ヴァイオリンと通奏低音(ヴァイオリンパート消失) 6.ヴィヴァーチェ (1楽章と同一)」に変更されます。そして最終稿とされる第3稿は「1.アレグロ (音楽は初稿・2稿のまま) 2.ラルゴ(初稿・2稿のまま) 3. チェンバロ独奏曲(New) 4.アダージョ(New) 5.アレグロ(New)」で、3楽章以降が新たなものに変更されました。
 チェンバロ独奏曲が挿入されている珍しい構成ですが、このチェンバロ独奏曲を軸に、1楽章と5楽章が同一調、2楽章が1楽章の平行調で、この2楽章に対して4楽章が属調で書かれ、調シンメトリーの構造になっています。シンメトリー構造は初稿からの発想のようです。又、6つの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の内、第1番から第5番は4楽章構成で「緩 - 急 - 緩 - 急」の教会ソナタ形式をとっているのに対し、この第6番のみが5楽章構成で「急 - 緩 - 急 - 緩 - 急」の形式であることも注目すべき点でしょう。
 ところで、バロック期の時代の作品において主として用いられたリコーダーはアルト・リコーダーでしたが、今日はこの曲をソプラノ・リコーダーで演奏します。そのため、私たちは変ホ長調へ移調して演奏致します。

「ソナタ ヘ長調 BWV.1016 」(原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016)
 3曲目に演奏する「ソナタ ヘ長調 BWV.1016」も原曲は「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016」です。先に述べましたように、オブリガート・チェンバロ付きソナタでは、チェンバロの右手に旋律が書かれ、旋律楽器とデュオを奏でて行きます。その殆どがフーガ風の書法で書かれています。しかし、第3番の1楽章では、左手にはオクターヴ・バスが書かれ、その上の右手は終始 三和音を基本として書かれています。こういった書かれ方のものは、6つの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の中では他にありません。彼のこの種のソナタにおいて、部分的に数字付低音譜(あるいは数字が省略されて書かれている通奏低音)が現れますが、この1楽章のチェンバロ・パートは「リアライズされた(書き出された)通奏低音」ではないか、と私は見ています。これがもし本当に「バッハのリアライズされた通奏低音」なのであれば、バッハの通奏低音奏法の1つの手がかりとなるかもしれません。

 バッハの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」
「ソナタ ヘ長調 BWV.529」 (原曲 : オルガンの為のトリオソナタ第5番ハ長調 BWV.529)

 2本の旋律とバス旋律を二人の奏者で演奏する「旋律楽器とオブリガート・チェンバロの為のソナタ」を残したバッハですが、更にこれを一人で演奏する形で書いたものを残しました。即ち、二つの手鍵盤とペダル鍵盤を独立的に使って演奏する6つの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」BWV525-530です。バッハの作曲家としての円熟期であった1727年頃(ライプツィヒ時代) に書かれたこの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は、バッハの長男と次男の証言を元にしたJ.N.フォルケル著の伝記( Johann Nikolaus Forkel "Uber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke 『J.S.バッハの生涯と芸術と作品について』Leipzig1802) によれば、長男ウィルヘルム・フリーデマン・バッハの為に作曲し、この作品によって長男は偉大なオルガニストになるべく稽古させられたそうです。実際、長男はのちにそのようなオルガニストになります。バッハの自筆譜が残っていますが、その筆跡は浄書でも作曲中の走り書きでもありません。その筆跡の様相と、本日は演奏しませんが、第4番の1楽章はカンタータ76番が原曲であることなどから、「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は、何らかの原曲(あるいは断片)を元に、移調や大幅な改変を行いながら書いたのではないか、と考えられています。「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の6曲中5曲が「緩 - 急 - 緩 - 急」の四楽章構成の伝統的な教会ソナタの形式で書かれていることを先にお話しましたが、「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」も同様の形式で書かれています。それに対し、「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は6曲全てが「急 - 緩 - 急」の三楽章構成のイタリアの協奏曲形式で書かれています。
 本日のコンサートは、「オルガンの為のトリオ・ソナタ 第5番ハ長調BWV.529」をアレンジした「ソナタ ヘ長調BWV.529」で幕開けさせて頂きます。
 余談ですが、バッハの弟子たちの多くは優れたオルガニストとなりました。そして、作曲にも長けていた者の中には、彼のオルガン・トリオ・ソナタを受け継ぐ作品を残した人もいました。特にエルフルトのオルガニストとして活躍したヨハン・クリスチャン・キッテル(1732-1809)は「オルガン・トリオの作曲家」でもありました。

 バッハとリュート
 長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハによる「バッハの遺産目録」というものが残っています。そこには鉱山株から金貨・銀貨、銀食器に至るまでこと細かに記されているのですが、当然楽器についても記載があります。
 「チェンバロ5台、リュート・チェンバロ 2台、ヴァイオリン2台、ピッコロ・ヴァイオリン1台、ヴィオラ3台、バセットヒェン(ピッコロ・チェロ) 1台、チェロ1台、ヴィオラ・ダ・ガンバ1台、スピネット1台、リュート1台」
 優れた鍵盤奏者だったバッハが多くのチェンバロと小型チェンバロであるスピネットを持っていたことは当然のことでしょう。又、長兄ヨハン・クリストフ・バッハの元で育った頃、オールドルフで学校カントルからヴァイオリンとヴィオラを学び、ヴァイマールのヨハン・エルンスト公子の室内楽団ではチェンバロのほかヴァイオリンとヴィオラを受け持っていた、とフォルケルの伝記に書かれていることから、一通りの擦弦楽器を所有していたことも不思議ではありません。そして、バッハはこれらと共にリュートを持っていたのです。
 バッハの推薦でドレスデンのソフィア教会のオルガニストを長男がしていた頃のこと、彼がバッハの元にひと月ほど滞在した際、ドレスデンから有名なリュート奏者のシルヴィス・レオポルト・ヴァイス(1687-1750)とヨハン・クロポスガンス(1708-?) たちもやって来たことがありました。そして、バッハ家で大変優雅な音楽会が行われた、と伝えられています(バッハ家に居住していた姪のエリーアス・バッハの書簡に残る)。バッハは七曲のリュートの為の作品を残していますが、リュートの響きを大変好んでいたようです。遺産目録からリュートを所有していた事実が分かりますが、彼自身はリュート演奏があまり上手くなかったらしく、チェンバロのバフ・ストップ(リュート・ストップと呼ぶこともある。弦にフェルトあるいは皮を触れさせるストップでミュートがかかった音がする。その音はリュートの響きによく似ている) を使って、リュート風の響きを出して楽しんでいた、と伝えられています。又、遺産目録に「リュート・チェンバロ」という楽器がありますが、これはバッハが考案・設計した楽器のようで(残存しない為、どんな楽器であったか正確なことは分かっていない)、「ヒルデブラントというチェンバロ製作家に自らが設計した『リュート・チェンバロ』を作らせた」という記録が残っています。恐らく、バフ・ストップの響きよりも更にリュートに近い響きがする楽器であったと考えらますが、このことからも「リュートの響きへの憧れ」があったことが伺えるのではないでしょうか。

「組曲 ニ短調 BWV.997」 (原曲:リュートの為のパルティータ ハ短調 BWV.997)
 本公演プログラムは「リュートのためのパルティータ ハ短調 BWV.997」を元にした「組曲 ニ短調 BWV.997」で締めくくります。リコーダーとチェンバロで演奏するにあたって、バッハが残した旋律楽器1本とチェンバロで演奏出来る二つの形、即ち、「リコーダーと通奏低音」と「リコーダーとオブリガート・チェンバロ」の形にアレンジしています。1楽章のプレリュードは「リコーダーと通奏低音」の形で演奏致します。2楽章のフーガは三声のフーガで書かれていますので、それぞれの声部をリコーダー、チェンバロの右手、チェンバロの左手に分け、「リコーダーとオブリガート・チェンバロ」の形で演奏致します。3楽章のサラバンドと4楽章のジーグとドゥーブルは、「リコーダーと通奏低音」の形でお聴きください。

☆ 本公演で、J.S.バッハの「二人の奏者で演奏するトリオ・ソナタ術」を楽しんで頂ければ幸いです。(曲目解説 : 中田 聖子)


Concert Data
2013.05.25 at Anrieu Recordert Gallery, TAKEYAMA Hall アンリュウリコーダーギャラリータケヤマホール
Performer are Kayo Inoue 井上佳代 (Recorder) and Seiko Nakata 中田聖子 (Cembalo)
Tittle 「J.S.バッハへの憧憬」

Programme

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

・ソナタ ヘ長調 BWV.529 (原曲 : オルガンの為のトリオソナタ第5番ハ長調 BWV.529)
 Sonata, F-dur, nach dem Trio Sonata Nr.5 für Organ, C-dur, BWV 529 (ca.1727)
  I. アレグロ Allegro  II. ラルゴ Largo  III. アレグロ Allegro


・ソナタ 変ホ長調 BWV.1019 (原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019)
 Sonata, Es-dur nach dem Sonata VI für Violin und Obligato Cembalo, G-dur BWV.1019 (1717-23)
  I. アレグロ Allegro  II. ラルゴ Largo III. アレグロ(チェンバロ独奏) Allegro (Cembalo Solo)  IV. アダージョAdagio   V. アレグロ Allegro


・ソナタ ヘ長調 BWV.1016 (原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016)
 Sonata, F-dur nach dem Sonata III für Violin und Obligato Cembalo, E-dur BWV.1016 (1717)
 I. アダージョAdagio   II. アレグロ Allegro   III. アダージョ・マ・ノン・タント Adagio ma non tanto  IV. アレグロAllegro


・組曲 ニ短調 BWV.997 (原曲:リュートの為のパルティータ ハ短調 BWV.997)
Partita d-moll nach dem Partita für lute, c-moll, BWV.997 (1737-41)
 I. プレリュード Preludio  II. フーガFuga  III. サラバンドSarabande IV. ジーグとドゥーブル Gigue - Double

☆ 本記事は、あくまでも1奏者・1チェンバロ指導者の考察、否、雑感レヴェルであり、資料的価値はありません。

 あれこれ自分なりの考えがあり、通常のレッスンは小学生(厳密には小学3年生以上)からにしているのですが、先日ご要望を頂き、未就学児童の方々のグループレッスンを行ってきました。
 事前に皆さん「楽器の経験はなし」と聞いていたので(しかし子供達の反応からしてほぼ全員音楽初期教育経験はありと見ましたが)第1回はチェンバロに「正しく触れる」ということをテーマに臨ませて頂きました。
 今回の記事ではその内容については触れませんが...(あしからず)。
 初心者指導において、当然のことながら、大人、中学生以上の学生、小学生、それぞれ方法が違ってきます。前述3層の指導とは異なる点が多いだろう、と容易に想像がついていましたが、教育・指導面ではなく、チェンバロ奏法における大きな気付きがありましたので、(自分のメモ代わりに)記載します。

 子育て真っ最中の方にはごくごく当然のことだと思いますが、とにかく子供は手が小さい。筋肉も骨格も発達途中で体が小さいのだから、本当に当然のお話ですが。

 [蛇足 : よく手が小さいからピアノではなくチェンバロに...という声を聞きますが、その考えはもってのほか、そんな安易なことでチェンバロに転向しないでください。ピアノとチェンバロは異なる楽器です。実際には、そういった理由でチェンバロに転向され、才能も持ち合わせておられた為に立派な有能なチェンバリストになられた方もおられますが、「才能とご本人の努力があったから」であることをお忘れなく!]

 同様にまだ発達途中である小学生の指導中では全く思いもしなかったことなのですが、正しい手全体のフォームで鍵盤上に手を置かせると、3歳前後のお子様だと親指の指先が全くKeyに乗らない。左右全ての指を使ってチェンバロに触れて頂こうと思っていたのですが、悪しきであれば可能ですが、正しきフォームでは出来ない、ということが分かりました。一度体が覚えた誤りはなかなか修正出来ないことを身をもって経験してきておりますので(苦笑) 悪しき経験を避けて正しいフォームを保ったまま弾くことを考えますと、親指と小指を除く三指、つまりオールドフィンガリングで使用する人指し指、中指、薬指に限定されます。乳児(に近い)お子様の手は、内側の三指と外側の二指の長さの比率差が大人に比べてより顕著であるということは、チェンバロ奏法の理由を考える上で大きなキーかもしれません。
 ルネサンス、17世紀初期に限らず、18世紀に入ってからも内側三指を重視していたことをあちらこちらで読み取ることが出来ますし、多くの作品がそれを求めています。外側二指を派手に使用したと伝えられるJ.S.Bachの作品でさえ、その使用の吟味を要求すると思います。そういった点から、チェンバロ奏者としてオールドフィンガリングの重要性をよく分かっているつもりですが、この内側三指の重視について、今回気付きが多くありました。
 現在と異なり、鍵盤楽器といえばチェンバロ(含ヴァージナル)であり、オルガンであり、クラヴィコードであり... といったルネサンス・バロックの音楽家一族の子供達にとって初期教育も当然それらの楽器で行われていたのはまぎれもない事実で、現在の子供たちも物心つけばチェンバロに触れていたよ、で良い筈です(嗚呼! 何と恵まれた環境なの!!)。20世紀以降の音楽初等教育観(含・文科省提示の音楽科指導)からすると果たしていつからチェンバロに触れて頂いて良いのか、というモヤモヤとした部分もあり (私自身もずっと模索しているのですが)、当時一体何歳頃から教育が行われてきたのかが、知りたいところです。容易に想像出来ることは、音楽家一族においては家庭内教育が恐らく第一段階であったでしょうし、遊びの中で覚えたのだろう、ということですが....。そのヒントになるようなもの、例えば今のピアノのシステム教育のように幼年期用の楽譜だとすぐ分かるものがあれば良いのですが、皆無だと言える状況で(もっともそのようなシステム教育もなかったし、指南書はあってもテクニック本の観念がないのだから当然の話)、あれこれ常に疑問が付き纏います。
 しかし、手の骨格発達を待たずに鍵盤楽器を弾いて行くとしたら、且つ、手を壊すことなく弾いて行くとしたら、先述のように内側三指をまず使って行くことになったのではないか? そうして訓練を受けていく中で、外側二指よりも三指が器用になっていったのではないか? つまり、外側二指と内側三指の器用さの差は、20世紀以降の音楽教育観で形成されていく以上に大差があったのではないか?という想像出来るように思います。(→ バロック以前の運指が訓練上から説明がつく???)
 そして、内側三指が外側二指よりも器用であることが前提で曲が書かれて行くので、数百年後の鍵盤奏者が「オールド・フィンガリング」ということを考えなければならない (=雌鳥が先か卵が先か?のような話ですが)。
 つまり、20世紀以降生まれの人間には奇妙に思われる初期鍵盤楽器のフィンガリングも、ごくごく自然に発生したフィンガリングであることは乳児の手を見れば明らかだったんだ、と気付いた次第です。
[2013.01.23. Seiko Nakata]

  • 購読する このブログを購読
  • ・KLAVI更新情報


    ・中田聖子のTwitter

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうちMusicologyカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはLessonです。

次のカテゴリはProgram Noteです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。