オールドフィンガリングの謎

☆ 本記事は、あくまでも1奏者・1チェンバロ指導者の考察、否、雑感レヴェルであり、資料的価値はありません。

 あれこれ自分なりの考えがあり、通常のレッスンは小学生(厳密には小学3年生以上)からにしているのですが、先日ご要望を頂き、未就学児童の方々のグループレッスンを行ってきました。
 事前に皆さん「楽器の経験はなし」と聞いていたので(しかし子供達の反応からしてほぼ全員音楽初期教育経験はありと見ましたが)第1回はチェンバロに「正しく触れる」ということをテーマに臨ませて頂きました。
 今回の記事ではその内容については触れませんが...(あしからず)。
 初心者指導において、当然のことながら、大人、中学生以上の学生、小学生、それぞれ方法が違ってきます。前述3層の指導とは異なる点が多いだろう、と容易に想像がついていましたが、教育・指導面ではなく、チェンバロ奏法における大きな気付きがありましたので、(自分のメモ代わりに)記載します。

 子育て真っ最中の方にはごくごく当然のことだと思いますが、とにかく子供は手が小さい。筋肉も骨格も発達途中で体が小さいのだから、本当に当然のお話ですが。

 [蛇足 : よく手が小さいからピアノではなくチェンバロに...という声を聞きますが、その考えはもってのほか、そんな安易なことでチェンバロに転向しないでください。ピアノとチェンバロは異なる楽器です。実際には、そういった理由でチェンバロに転向され、才能も持ち合わせておられた為に立派な有能なチェンバリストになられた方もおられますが、「才能とご本人の努力があったから」であることをお忘れなく!]

 同様にまだ発達途中である小学生の指導中では全く思いもしなかったことなのですが、正しい手全体のフォームで鍵盤上に手を置かせると、3歳前後のお子様だと親指の指先が全くKeyに乗らない。左右全ての指を使ってチェンバロに触れて頂こうと思っていたのですが、悪しきであれば可能ですが、正しきフォームでは出来ない、ということが分かりました。一度体が覚えた誤りはなかなか修正出来ないことを身をもって経験してきておりますので(苦笑) 悪しき経験を避けて正しいフォームを保ったまま弾くことを考えますと、親指と小指を除く三指、つまりオールドフィンガリングで使用する人指し指、中指、薬指に限定されます。乳児(に近い)お子様の手は、内側の三指と外側の二指の長さの比率差が大人に比べてより顕著であるということは、チェンバロ奏法の理由を考える上で大きなキーかもしれません。
 ルネサンス、17世紀初期に限らず、18世紀に入ってからも内側三指を重視していたことをあちらこちらで読み取ることが出来ますし、多くの作品がそれを求めています。外側二指を派手に使用したと伝えられるJ.S.Bachの作品でさえ、その使用の吟味を要求すると思います。そういった点から、チェンバロ奏者としてオールドフィンガリングの重要性をよく分かっているつもりですが、この内側三指の重視について、今回気付きが多くありました。
 現在と異なり、鍵盤楽器といえばチェンバロ(含ヴァージナル)であり、オルガンであり、クラヴィコードであり... といったルネサンス・バロックの音楽家一族の子供達にとって初期教育も当然それらの楽器で行われていたのはまぎれもない事実で、現在の子供たちも物心つけばチェンバロに触れていたよ、で良い筈です(嗚呼! 何と恵まれた環境なの!!)。20世紀以降の音楽初等教育観(含・文科省提示の音楽科指導)からすると果たしていつからチェンバロに触れて頂いて良いのか、というモヤモヤとした部分もあり (私自身もずっと模索しているのですが)、当時一体何歳頃から教育が行われてきたのかが、知りたいところです。容易に想像出来ることは、音楽家一族においては家庭内教育が恐らく第一段階であったでしょうし、遊びの中で覚えたのだろう、ということですが....。そのヒントになるようなもの、例えば今のピアノのシステム教育のように幼年期用の楽譜だとすぐ分かるものがあれば良いのですが、皆無だと言える状況で(もっともそのようなシステム教育もなかったし、指南書はあってもテクニック本の観念がないのだから当然の話)、あれこれ常に疑問が付き纏います。
 しかし、手の骨格発達を待たずに鍵盤楽器を弾いて行くとしたら、且つ、手を壊すことなく弾いて行くとしたら、先述のように内側三指をまず使って行くことになったのではないか? そうして訓練を受けていく中で、外側二指よりも三指が器用になっていったのではないか? つまり、外側二指と内側三指の器用さの差は、20世紀以降の音楽教育観で形成されていく以上に大差があったのではないか?という想像出来るように思います。(→ バロック以前の運指が訓練上から説明がつく???)
 そして、内側三指が外側二指よりも器用であることが前提で曲が書かれて行くので、数百年後の鍵盤奏者が「オールド・フィンガリング」ということを考えなければならない (=雌鳥が先か卵が先か?のような話ですが)。
 つまり、20世紀以降生まれの人間には奇妙に思われる初期鍵盤楽器のフィンガリングも、ごくごく自然に発生したフィンガリングであることは乳児の手を見れば明らかだったんだ、と気付いた次第です。
[2013.01.23. Seiko Nakata]