J.S.バッハの「フランス趣味」で書かれた6つの組曲

2013.12.21開催 (於 アンリュウリコーダーギャラリータケヤマホール)
中田聖子チェンバロリサイタルVol.11 Art of J.S.Bach V
「J.S.バッハ『フランス組曲』全曲演奏会」プログラムノート
 
 
「J.S.バッハの 『フランス趣味』で書かれた6つの組曲」中田 聖子
 
 本日はリサイタルにお越しくださり、ありがとうございます。今回選んだプログラムはヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750]の「6つのフランス組曲」全曲演奏です。J.S.バッハは「6つのパルティータ」「6つのイギリス組曲」「フランス風序曲」をはじめ、沢山のチェンバロのための舞曲組曲を残しています。その中でも「6つのフランス組曲」はシンプルな小規模構成で、非常に親しみやすいタイプの組曲集だと思います。そして、彼の舞曲組曲の中でも最も「撥弦楽器であるチェンバロ」の楽器特性を生かして書かれている作品です。
 この「6つのフランス組曲」は、J.S.バッハが30代後半であった1722年頃から書かれ始めたと考えられており、残存する最も初期の稿は新しい妻に贈った「アンナ・マクダレーナ・バッハの為の音楽帳 第1巻 Clavier-Büchlein vor Anna Magdarena Bachin, Anno 1722」に見ることが出来ます。但し、ここに残るのは第1番から第5番迄で、第6番は欠落しています。しかし、音楽帳の後ろ部分40ページ近くが取り除かれている為、その中に第6番が記されていた可能性はゼロではありません。この音楽帳が書かれた1722年頃はバッハが非常に教育に熱心であった時期で、同年「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」、翌年「インヴェンションとシンフォニア」が書かれており、これらの作品同様に「6つのフランス組曲」もまた弟子達と妻アンナ・マクダレーナの教育プログラムの要素を持っていたと考えられています。
 彼の自筆によって残っているものはこの音楽帳のみですが、彼の弟子達、即ち、ヨハン・カスパル・フォーグラー Joann Kaspar Vogler [1695/6-1765] (最も古い弟子)やヨハン・クリストフ・アルトニコルJohann Christoph Altnickol [1719/20-59] (弟子であり四女の婿)による筆写譜、そして、恐らくヨハン・シュナイダーJohann Schneider [1702-1788]によるものと思われる筆写譜が残っています。また、これらと共に「アンナ・マクダレーナ・バッハの為の音楽帳 第2巻(1725)」に妻によって記されたものが残っており、それらからは幾度もJ.S.バッハが改作したことが伺われます。つまり、数種の異稿が残っている訳ですが、本日はJ.C.アルトニコルの伝承稿で演奏致します。多くの筆写譜は弟子による発展稿である可能性もあるため、比較的初期の形に近いものを選択するとアルトニコル稿であること、又、他の筆写譜には欠落組曲があるのに対し、6組曲全てが揃っていて、且つ、1番から6番までが順に並んでいることも稿選択の理由です。
 さて「6つのフランス組曲」と呼んでいるこの組曲、作曲家自身によるタイトルではないことは よく知られていると思います。音楽帳の自筆譜を見ますと、どの組曲にも「Suite pour le Clavessin (クラヴサン[=チェンバロ]のための組曲)」と記されており、確かに「フランス組曲」とは書かれていません。初めてこの呼び名が記載されているのは、バッハ家と親交のあった音楽理論家フリードリッヒ・ウィルヘルム・マールプルクFriedrich Wilhelm Marpurg[1718-1795]の1762年の論文においてで、J.S.バッハの没後からそう時が経過せぬうちに「フランス組曲」と既に呼ばれていたことが想像出来ます。その後もフランス趣味で書かれていることから「フランス組曲」と呼ばれ、今日に至るようです。「フランス趣味」については様々な視点・見解がありますが、私自身は舞曲の形式そのもののフランス趣味以上に「チェンバロ作品としてのフランス趣味」を持つ組曲集である、と考えております。
 チェンバロ作品における「フランス趣味」の大きな特徴として挙げられるのは、「スティル・ブリゼ Style brisé」による書かれ方です。スティル・ブリゼは、リュートで用いられた分散奏法やつま弾きをチェンバロで模倣するような書法のことで、ルイ・クープラン Louis Couperin[ca.1626-1661]やジャン=アンリ・ダングルベール Jean-Henry D'Anglebert[1628-1691]といった17世紀フランスの作曲家達によって用いられました。そして、この17世紀フランスのチェンバロ作品の様式は、ヨハン・ヤーコブ・フローベルガー Johann Jacob Froberger[1616-1667]のような一部の17世紀のドイツの作曲家のチェンバロ作品にも流入していきます。彼らから後のJ.S.バッハもまたスティル・ブリゼをチェンバロのための舞曲作品に取り入れていますが、特に顕著に現れているのがこの「6つのフランス組曲」だと思います。チェンバロは「リュートに鍵盤が付いたような楽器」という考え方があり、奏者は常に鍵盤の奥にある見えない部分での撥音を考え乍ら演奏しています。その面において、リュートの模倣奏法であるスティル・ブリゼは撥弦楽器チェンバロの特性をより生かせるものであり、それ故にJ.S.バッハの鍵盤作品における最もチェンバロらしさを要求するものとして「6つのフランス組曲」を挙げることが出来るのではないか、と思います。又、スティル・ブリゼに着目すると自然に必要となることですが、フランスのチェンバロ作品において要求される独特の幾つかの奏法を用いるとより効果的に演奏出来る箇所が多く、これも「フランス趣味」の要素に数えて良いのではないか、と感じております。
 ところで、J.S.バッハの主要なチェンバロ組曲の舞曲構成には次のような特徴があります。まず前奏曲類で書き始められ、その後第一舞曲にアルマンドが置かれ、クーラントとサラバンドが続きます。そして、サラバンドの後「ギャラント」と呼ばれる様々な舞曲が置かれ、ジーグで締めくくられます。
 しかし、6つのフランス組曲には、前奏曲類がありません。「6つのパルティータ」や「6つのイギリス組曲」の各々の前奏曲類として書かれたものは比較的長大なものが多く、それが無い為にフランス組曲は小規模に纏まっているとも考えられますが、果たしてアルマンドの前には何も弾かなかったのでしょうか? 第1番や第4番のアルマンドはプレリュードの性格を持っている、と見ることも出来るのですが、スティル・ブリゼに見られる17世紀フランスのチェンバロ作品からの影響を考えますと、舞曲組曲として演奏する場合には即興的な何らかの前奏を伴っていたようなので、「フランス組曲」にも即興的な前奏を伴っていたのではないか、と想像することが出来ます。しかしながら、J.S.バッハ先生の大作に相応しいプレリュードを即興演奏するだけの力を私は持ち合わせていませんので、本日は「平均律クラヴィーア曲集 第2巻 より 『第5番プレリュードとフーガ ニ長調 BWV874』」を組曲集の前奏として弾かせて頂くことに致しました。
 さて、前奏に謎があれば、終曲にも謎がある......。第6番ではギャラント舞曲(サラバンドとジーグの間に置く挿入舞曲)であるメヌエットが先述の舞曲構成のルール通りではなく、ジーグのあとに置かれています。第6番のメヌエットを終曲とするか、或は、この舞曲構成配置は筆写時の間違いでギャラントであると見るか......。第6番の自筆譜が残存しない為、研究者や奏者によって様々な考え方があるのですが、本日は終曲として演奏致します。フランスの組曲をはじめとする作品には可愛らしいメヌエットが終曲として置かれ、余韻を楽しむかのようなものが多くあります。第6番のメヌエットもそのような性格を持っており、「フランス趣味」の組曲集に相応しく書かれているのではないでしょうか。
 幾つかの謎が孕む「J.S.バッハのフランス趣味」と彼が求めた「撥弦楽器チェンバロらしさ」を、この「6つのフランス組曲」で皆様にお届け出来ますと幸いです。

(解説・文 : 中田 聖子 チェンバロ奏者)

===== Program =====

ヨハン・セバスチャン・バッハ (1685-1750)
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

・平均律クラヴィーア曲集 第2巻より第5番
 プレリュードとフーガ ニ長調 BWV874
 Das Wohltemperierte Klavier II, Nr.5
 Praeludium und Fuga, D-dur, BWV874


「6つのフランス組曲」BWV812-817
  (アルトニコル伝承稿使用)
Die sechs Französischen Suiten BWV812-817
  (Ältere Gestalt nach Altnickols Überlieferung)


・第1番 ニ短調 BWV812
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.メヌエット I-II  5.ジーグ
 Suite 1. d-moll , BWV812
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Menuet I-II 5.Gigue


・第2番 ハ短調 BWV813
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.エール 5.メヌエット 6.ジーグ
 Suite 2. c-moll , BWV813
 1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Air 5.Menuet 6.Gigue

・第3番 ロ短調 BWV.814
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.メヌエット - トリオ
  6.ジーグ
 Suite 3. h-moll, BWV 814
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Menuet - Trio 6.Gigue

-- 休憩 Interval-

・第4番 変ホ長調 BWV815
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.エール
  6.ジーグ
 Suite 4. Es-dur, BWV 815
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Air
  6.Gigue

・第5番 ト長調 BWV816
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.ブーレ 6.ルール
  7.ジーグ
 Suite 5. G-dur, BWV816
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Bourrée
  6.Loure 7.Gigue

・第6番 ホ長調 BWV.817
  1.アルマンド 2.クーラント 3.サラバンド 4.ガヴォット 5.ポロネーズ 
  6.ブーレ 7.ジーグ 8.メヌエット
 Suite 6. E-dur, BWV817
  1.Allemande 2.Courante 3.Sarabande 4.Gavotte 5.Polonaise
  6.Bourrée 7.Gigue 8.Menuet


Harpsichord : Flemish Style, "Ruckers" Double Manual by Akira Kubota
Tune : a'=415 Hz, Young II
Tuner : Tomoko Sakuma