「J.S.バッハのトリオ・ソナタ術」

2013.05.25開催「J.S.バッハへの憧憬」公演 プログラムノート by 中田 聖子

『バッハのトリオ・ソナタ術』

 バッハとリコーダー
 リコーダー1本とチェンバロでヨハン・セバスチャン・バッハの音楽を奏でようと思いますと、オリジナル曲が残存していない為、何らかの彼の作品をアレンジするという方法になります。そこで本公演では「オルガンの為のトリオ・ソナタ」「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」「リュートの為のパルティータ」から計4曲を選曲し、プログラムを組むことに致しました。
 18世紀まで「フラウト Flauto笛」と言えば、縦笛のリコーダーのことでした。現在「フルート」として誰もが思う横笛については「フラウト・トラヴェルソ Frauto Traverso 横笛」、つまり、わざわざ「横向きの笛」と呼んでいました。しかし、18世紀に入り次第にフラウト・トラヴェルソがヨーロッパ各地の宮廷で流行し始め、バッハの時代ではリコーダーは既に「古い楽器」となっていたようです。バッハがリコーダーの為のソロ作品を残していない1つ理由には、そういった時代背景があると考えられています。しかし、バッハは「ブランデンブルグ協奏曲」第2番と第4番、又、その第4番を原曲とする「チェンバロ協奏曲 ヘ長調 BWV1049」、そしてミュールハウゼン時代の初期のカンタータである「神の時こそ最上の時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit (Actus tragicus) BWV106」やワイマール時代の「狩のカンタータ(楽しき狩こそ我が悦び Was mir behagt, ist nur die muntre Jagd! ) BWV208」、ライプツィヒ時代の「マニフィカト」の初稿(BWV243a)や「マタイ受難曲」など、現在確認されているだけでも25曲のカンタータ、つまり、協奏曲とカンタータのジャンルにおいてリコーダーを用いています。彼はこのような大編成作品の中でリコーダーを用いることを好み、そういった用法においてリコーダーを生かすことに長けていたのかもしれません。


 バッハのソナタ と オブリガートチェンバロ付きソナタの誕生
 バロック時代のソナタの多くは、旋律楽器のパートと通奏低音パートの編成で書かれていました。「旋律楽器と通奏低音のためのソナタ」の楽譜は、例えば下記のJ.S.バッハの「ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ ホ短調BWV1023」の譜面のように、ヴァイオリンのパートとバスのパートで書かれているのですが、バスのパートには数字が付されています。これを数字付低音譜と呼び、チェンバロやオルガン、リュートなどの和音楽器の通奏低音パートはこの楽譜を見て演奏します。数字はコードネームのようなもので、一定のルールに従ってバス旋律に和音を補充し、時には数字を元にオーナメントも加えて演奏します。つまり、通奏低音パートを担当する際のチェンバロ奏者の右手の音や左手の内声音は即興によって演奏していきます。



↑J.S.バッハの「ヴァイオリンと通奏低音の為のソナタ ホ短調BWV1023」第2楽章のマニュスクリプト


しかし、バッハの旋律楽器1本のソナタには、通奏低音伴奏付きのこの種のソナタの他に、もう2種類ありました。1つは無伴奏のソナタ、もう1つは「オブリガート・チェンバロ付きのソロ・ソナタ」です。バッハは、通奏低音演奏において右手で新しい旋律声部を作り出すことを好み、又、その旋律声部は新たな対位法で彩るかのようなものであった、と伝えられています。つまり、バッハが通奏低音を担えば、ソロ・ソナタは事実上トリオ・ソナタとなっていた、と考えることが出来ます。この彼自身の演奏習慣は、新たな形のソナタを生み出したようです。新たな形のソナタ、即ち、旋律楽器奏者とチェンバロ奏者の二人で3つの旋律を奏でる「オブリガート・チェンバロ付きのソロ・ソナタ」です。この種のソナタでは、チェンバロの右手の旋律が記され、右手は旋律楽器奏者とデュオを奏で、チェンバロの左手でバス旋律を奏でます。バッハのこの種のソナタの作曲過程を示すものとしては、「2本のフルートと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ト長調BWV1039」が改作され書かれた「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタ ト長調 BWV1027」でしょう。彼はヴィオラ・ダ・ガンバの作品の他、フラウト・トラヴェルソ、そしてヴァイオリンの作品も6曲この形で残しています。本日はこの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」から二曲を選択して演奏致します。


ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ
 6曲のオブリガート・チェンバロ付きのヴァイオリン・ソナタ(BWV1014-1019)は、音楽好きの君主アンハルト・ケーテン侯レオポルトの宮廷楽長として仕えていたケーテン時代の1717年に初稿が書かれました。ケーテン時代には、「管弦楽組曲」「ブランデンブルグ協奏曲」「フランス組曲」、そして、多くの協奏曲が書かれ、音楽好きの君主の元で沢山の世俗音楽を書いたと考えられています。しかし、幼少期にルター正統派の厳格な教育を受けた彼に対し、カルヴァン改革派に属していた領主の元ではカンタータを書くことが極端に少なかった為、必然的な作曲活動であったのかもしれません。


「ソナタ 変ホ長調 BWV.1019」(原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019)
 プログラム順ではなく、2曲目に演奏する「ソナタ 変ホ長調BWV.1019」からお話致しますが、これは「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019」をアレンジしたものです。第6番のソナタはケーテンで初稿が書かれた後、少なくとも二度書き直されており、本日は最終稿を変ホ長調に移調して演奏致します。
 初稿は「1.プレスト 2.ラルゴ 3.カンタービレ 4.アダージョ 5.プレスト(1楽章と同一)」という楽章構成でしたが、3楽章と4楽章は今日演奏する最終稿とは全く別の音楽でした(初稿=BWV.1019a)。その後、第2稿がバッハの最後の土地となるライプツィヒで書かれ (1731年より以前に書かれたと考えられる)、「1.ヴィヴァーチェ(音楽はそのまま) 2.ラルゴ(初稿と同じ) 3.チェンバロ独奏(最終稿とは異なる) 4.アダージョ(初稿と同じ) 5.ヴァイオリンと通奏低音(ヴァイオリンパート消失) 6.ヴィヴァーチェ (1楽章と同一)」に変更されます。そして最終稿とされる第3稿は「1.アレグロ (音楽は初稿・2稿のまま) 2.ラルゴ(初稿・2稿のまま) 3. チェンバロ独奏曲(New) 4.アダージョ(New) 5.アレグロ(New)」で、3楽章以降が新たなものに変更されました。
 チェンバロ独奏曲が挿入されている珍しい構成ですが、このチェンバロ独奏曲を軸に、1楽章と5楽章が同一調、2楽章が1楽章の平行調で、この2楽章に対して4楽章が属調で書かれ、調シンメトリーの構造になっています。シンメトリー構造は初稿からの発想のようです。又、6つの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の内、第1番から第5番は4楽章構成で「緩 - 急 - 緩 - 急」の教会ソナタ形式をとっているのに対し、この第6番のみが5楽章構成で「急 - 緩 - 急 - 緩 - 急」の形式であることも注目すべき点でしょう。
 ところで、バロック期の時代の作品において主として用いられたリコーダーはアルト・リコーダーでしたが、今日はこの曲をソプラノ・リコーダーで演奏します。そのため、私たちは変ホ長調へ移調して演奏致します。

「ソナタ ヘ長調 BWV.1016 」(原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016)
 3曲目に演奏する「ソナタ ヘ長調 BWV.1016」も原曲は「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016」です。先に述べましたように、オブリガート・チェンバロ付きソナタでは、チェンバロの右手に旋律が書かれ、旋律楽器とデュオを奏でて行きます。その殆どがフーガ風の書法で書かれています。しかし、第3番の1楽章では、左手にはオクターヴ・バスが書かれ、その上の右手は終始 三和音を基本として書かれています。こういった書かれ方のものは、6つの「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の中では他にありません。彼のこの種のソナタにおいて、部分的に数字付低音譜(あるいは数字が省略されて書かれている通奏低音)が現れますが、この1楽章のチェンバロ・パートは「リアライズされた(書き出された)通奏低音」ではないか、と私は見ています。これがもし本当に「バッハのリアライズされた通奏低音」なのであれば、バッハの通奏低音奏法の1つの手がかりとなるかもしれません。

 バッハの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」
「ソナタ ヘ長調 BWV.529」 (原曲 : オルガンの為のトリオソナタ第5番ハ長調 BWV.529)

 2本の旋律とバス旋律を二人の奏者で演奏する「旋律楽器とオブリガート・チェンバロの為のソナタ」を残したバッハですが、更にこれを一人で演奏する形で書いたものを残しました。即ち、二つの手鍵盤とペダル鍵盤を独立的に使って演奏する6つの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」BWV525-530です。バッハの作曲家としての円熟期であった1727年頃(ライプツィヒ時代) に書かれたこの「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は、バッハの長男と次男の証言を元にしたJ.N.フォルケル著の伝記( Johann Nikolaus Forkel "Uber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke 『J.S.バッハの生涯と芸術と作品について』Leipzig1802) によれば、長男ウィルヘルム・フリーデマン・バッハの為に作曲し、この作品によって長男は偉大なオルガニストになるべく稽古させられたそうです。実際、長男はのちにそのようなオルガニストになります。バッハの自筆譜が残っていますが、その筆跡は浄書でも作曲中の走り書きでもありません。その筆跡の様相と、本日は演奏しませんが、第4番の1楽章はカンタータ76番が原曲であることなどから、「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は、何らかの原曲(あるいは断片)を元に、移調や大幅な改変を行いながら書いたのではないか、と考えられています。「ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」の6曲中5曲が「緩 - 急 - 緩 - 急」の四楽章構成の伝統的な教会ソナタの形式で書かれていることを先にお話しましたが、「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタ」も同様の形式で書かれています。それに対し、「オルガンの為のトリオ・ソナタ」は6曲全てが「急 - 緩 - 急」の三楽章構成のイタリアの協奏曲形式で書かれています。
 本日のコンサートは、「オルガンの為のトリオ・ソナタ 第5番ハ長調BWV.529」をアレンジした「ソナタ ヘ長調BWV.529」で幕開けさせて頂きます。
 余談ですが、バッハの弟子たちの多くは優れたオルガニストとなりました。そして、作曲にも長けていた者の中には、彼のオルガン・トリオ・ソナタを受け継ぐ作品を残した人もいました。特にエルフルトのオルガニストとして活躍したヨハン・クリスチャン・キッテル(1732-1809)は「オルガン・トリオの作曲家」でもありました。

 バッハとリュート
 長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハによる「バッハの遺産目録」というものが残っています。そこには鉱山株から金貨・銀貨、銀食器に至るまでこと細かに記されているのですが、当然楽器についても記載があります。
 「チェンバロ5台、リュート・チェンバロ 2台、ヴァイオリン2台、ピッコロ・ヴァイオリン1台、ヴィオラ3台、バセットヒェン(ピッコロ・チェロ) 1台、チェロ1台、ヴィオラ・ダ・ガンバ1台、スピネット1台、リュート1台」
 優れた鍵盤奏者だったバッハが多くのチェンバロと小型チェンバロであるスピネットを持っていたことは当然のことでしょう。又、長兄ヨハン・クリストフ・バッハの元で育った頃、オールドルフで学校カントルからヴァイオリンとヴィオラを学び、ヴァイマールのヨハン・エルンスト公子の室内楽団ではチェンバロのほかヴァイオリンとヴィオラを受け持っていた、とフォルケルの伝記に書かれていることから、一通りの擦弦楽器を所有していたことも不思議ではありません。そして、バッハはこれらと共にリュートを持っていたのです。
 バッハの推薦でドレスデンのソフィア教会のオルガニストを長男がしていた頃のこと、彼がバッハの元にひと月ほど滞在した際、ドレスデンから有名なリュート奏者のシルヴィス・レオポルト・ヴァイス(1687-1750)とヨハン・クロポスガンス(1708-?) たちもやって来たことがありました。そして、バッハ家で大変優雅な音楽会が行われた、と伝えられています(バッハ家に居住していた姪のエリーアス・バッハの書簡に残る)。バッハは七曲のリュートの為の作品を残していますが、リュートの響きを大変好んでいたようです。遺産目録からリュートを所有していた事実が分かりますが、彼自身はリュート演奏があまり上手くなかったらしく、チェンバロのバフ・ストップ(リュート・ストップと呼ぶこともある。弦にフェルトあるいは皮を触れさせるストップでミュートがかかった音がする。その音はリュートの響きによく似ている) を使って、リュート風の響きを出して楽しんでいた、と伝えられています。又、遺産目録に「リュート・チェンバロ」という楽器がありますが、これはバッハが考案・設計した楽器のようで(残存しない為、どんな楽器であったか正確なことは分かっていない)、「ヒルデブラントというチェンバロ製作家に自らが設計した『リュート・チェンバロ』を作らせた」という記録が残っています。恐らく、バフ・ストップの響きよりも更にリュートに近い響きがする楽器であったと考えらますが、このことからも「リュートの響きへの憧れ」があったことが伺えるのではないでしょうか。

「組曲 ニ短調 BWV.997」 (原曲:リュートの為のパルティータ ハ短調 BWV.997)
 本公演プログラムは「リュートのためのパルティータ ハ短調 BWV.997」を元にした「組曲 ニ短調 BWV.997」で締めくくります。リコーダーとチェンバロで演奏するにあたって、バッハが残した旋律楽器1本とチェンバロで演奏出来る二つの形、即ち、「リコーダーと通奏低音」と「リコーダーとオブリガート・チェンバロ」の形にアレンジしています。1楽章のプレリュードは「リコーダーと通奏低音」の形で演奏致します。2楽章のフーガは三声のフーガで書かれていますので、それぞれの声部をリコーダー、チェンバロの右手、チェンバロの左手に分け、「リコーダーとオブリガート・チェンバロ」の形で演奏致します。3楽章のサラバンドと4楽章のジーグとドゥーブルは、「リコーダーと通奏低音」の形でお聴きください。

☆ 本公演で、J.S.バッハの「二人の奏者で演奏するトリオ・ソナタ術」を楽しんで頂ければ幸いです。(曲目解説 : 中田 聖子)


Concert Data
2013.05.25 at Anrieu Recordert Gallery, TAKEYAMA Hall アンリュウリコーダーギャラリータケヤマホール
Performer are Kayo Inoue 井上佳代 (Recorder) and Seiko Nakata 中田聖子 (Cembalo)
Tittle 「J.S.バッハへの憧憬」

Programme

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

・ソナタ ヘ長調 BWV.529 (原曲 : オルガンの為のトリオソナタ第5番ハ長調 BWV.529)
 Sonata, F-dur, nach dem Trio Sonata Nr.5 für Organ, C-dur, BWV 529 (ca.1727)
  I. アレグロ Allegro  II. ラルゴ Largo  III. アレグロ Allegro


・ソナタ 変ホ長調 BWV.1019 (原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第6番ト長調 BWV.1019)
 Sonata, Es-dur nach dem Sonata VI für Violin und Obligato Cembalo, G-dur BWV.1019 (1717-23)
  I. アレグロ Allegro  II. ラルゴ Largo III. アレグロ(チェンバロ独奏) Allegro (Cembalo Solo)  IV. アダージョAdagio   V. アレグロ Allegro


・ソナタ ヘ長調 BWV.1016 (原曲:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調 BWV.1016)
 Sonata, F-dur nach dem Sonata III für Violin und Obligato Cembalo, E-dur BWV.1016 (1717)
 I. アダージョAdagio   II. アレグロ Allegro   III. アダージョ・マ・ノン・タント Adagio ma non tanto  IV. アレグロAllegro


・組曲 ニ短調 BWV.997 (原曲:リュートの為のパルティータ ハ短調 BWV.997)
Partita d-moll nach dem Partita für lute, c-moll, BWV.997 (1737-41)
 I. プレリュード Preludio  II. フーガFuga  III. サラバンドSarabande IV. ジーグとドゥーブル Gigue - Double