J.S.バッハのチェンバロ音楽 : 3つの作曲スタイル

2013.06.19開催 ムジークフェストなら2013' 秋篠寺コンサートのプログラムノートとして書いたものです。

「J.S.バッハのチェンバロ音楽」ーJ.S.バッハの3つの作曲スタイルー 中田 聖子 Seiko NAKATA

 本日はコンサートにお越しくださり、ありがとうございます。バロック時代に活躍した鍵盤楽器チェンバロの作品として特に知られているものはJ.S.バッハの作品だと思います。今回のムジークフェストなら2013' 秋篠寺での演奏にあたり、たっぷりJ.S.バッハの曲をお聴き頂こうと、本日はオールJ.S.バッハ・プログラムを組ませて頂きました。又、バッハの3つの作曲スタイルを御紹介したく選曲しております。3つのスタイル、即ち、1つは北ドイツの先人作曲家達から受け継いだ厳格な対位書法のスタイル、2つ目はイタリアから影響を受けた協奏曲のスタイル、3つめはフランスからの影響を受けた舞曲のスタイルです。

1. トッカータニ長調 BWV912  Toccata D-dur, BWV912 [対位書法のスタイル]
 バッハの曲と言えば、オルガンのトッカータとフーガのジャンルの作品が鍵盤曲ではよく知られていると思いますが、チェンバロ用のトッカータも数曲残っています。その中から今日はニ長調のトッカータBWV912を選曲致しました。面白いことに、このトッカータBWV912のファンファーレのような冒頭は「オルガンのためのプレリュードとフーガ ニ長調BWV532」のプレリュードの冒頭とよく似ています。BWV912のトッカータは、6つの部分から構成されている、と考えることが出来ます。先述の冒頭部分、そしてアレグロのリズミカルな対位書法の部分、3つ目がアダージョのレチタティーヴォ風の部分、そして続く美しいフーガの部分、再びレチタティーヴォ風の部分が登場し、ジーグのダンスのリズムで書かれたフーガの部分で締めくくられます。1曲の中に登場する様々な部分に耳を傾けて頂けますと幸いです。


2. イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971 Italianisches Konzert F-dur, BWV971 [協奏曲のスタイル]
 チェンバロ曲で最も知られている曲は、もしかしたらこの「イタリア協奏曲」かもしれません。正しい原題は「イタリア趣味による協奏曲」。バッハがヴァイマールの宮廷に仕えていた頃に行なった、A.ヴィヴァルディやA.マルチェロらイタリアの作曲家達の器楽協奏曲のオルガンやチェンバロ独奏用への編曲仕事がヒントとなり、この曲が書かれたのではないか、と考えられています。チェンバロ作品の多くにはレジスター(弦の本数を選択する機能)の指定が書かれていませんが、この曲には「f 」と「p 」が書かれており、「f 」では二本以上の弦を使用して演奏、「p 」では1本の弦で演奏することを示していると解釈されています。これによって、協奏曲のトゥッティ(全体合奏)とソロ(独奏)の対比を表現するように作られた作品である、と考えられています。第1楽章と第3楽章では二段鍵盤の上下鍵盤を行き来して演奏します。鍵盤や私の手元が見える位置に座られている方は、是非上下鍵盤の使用にご注目ください!


3. A.マルチェロの協奏曲に基づくチェンバロ独奏の為の協奏曲 ニ短調 BWV974[協奏曲のスタイル]
 Concerto d-moll, BWV974 nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
 「イタリア協奏曲」の作曲着想となったと考えられている協奏曲編曲群の中から、この曲を選曲しました。ヴァイマールでの協奏曲編曲について少し詳しくお話致しますと、バッハがヴァイマール宮廷に仕えていた時のこと、君主の甥ヨハン・エルンスト公子が留学先のオランダで出版されたA.ヴィヴァルディの「調和の霊感」をはじめとするイタリアの器楽協奏曲の楽譜を持ち帰ってきました。当時はイタリアやフランスが音楽の流行を牽引しており、A.ヴィヴァルディ、A.マルチェロ、B.マルチェロ、G.トレッリらの協奏曲は最先端の音楽でした。エルンスト公子はアムステルダムで、器楽協奏曲をオルガン1台だけで演奏するJ.J.de グラッフ(Jan Jakob de Graff 1672-1738)の演奏を聴いたらしく、鍵盤楽器1台での協奏曲演奏に興味を持ちました。そこで、師のヴァルター(Johann Gottfried Walther 1684-1748)とバッハに、持ち帰った協奏曲の鍵盤独奏用編曲を依頼した、と伝えられています。こうして書かれたのがバッハの17曲の「チェンバロ独奏用協奏曲 BWV972-987, 592a」と6曲の「オルガン独奏用協奏曲 BWV592-297」です。今日演奏する協奏曲BWV974は、アレッサンドロ・マルチェロ(Alessandro Marcello 1684-1750)のオーボエ協奏曲を原曲としています。このような経緯で書かれた協奏曲ですので、通常協奏曲に登場する弦楽合奏を伴わない、チェンバロ独奏用協奏曲として書かれています。


4. 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903 Chromatiche Fantasie und Fuge d-moll, BWV903 [対位書法スタイル]
 この曲もまたバッハの鍵盤曲の代表作として挙げられる曲だと思います。印象的なパッセージで始まる幻想曲と、「A B H C CH C (続)」の半音階進行のテーマで書かれるフーガ。フーガを代表する対位書法の作品では、バッハは北ドイツの先人作曲家の影響を強く受けています。その17世紀の北ドイツの作曲家たちに強い影響を与えていた作曲家にネーデルランドのJ.P.スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck1562-1621)がいました。スウェーリンクもまた「半音階的幻想曲」を残しています。先達の作品をよく研究していたらしいバッハ、彼の作品に何らかの着想があったのかもしれません。
 ところで、20世紀に入る迄、コンサートで演奏される作品の多くはその時代の作曲家の作品でした。19世紀もまたそうで、バッハをはじめとするバロック時代の作品は殆ど演奏される機会がなかったと伝えられています。しかし、バッハのこの「半音階的幻想曲とフーガ」だけは19世紀にも人気が高かった、という話も伝わっています。

5. フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814 Französischen Suite III h-moll, BWV814 [フランス舞曲スタイル]
 バッハは17世紀フランスの舞曲組曲から影響を受けた作品を多数残しています。その代表が「6つのフランス組曲 BWV812-817」と呼ばれる組曲集です。チェンバロは弦を撥いて音を出す撥弦鍵盤楽器ですが、17世紀フランスのチェンバロ作品では、バッハも好んでいた撥弦楽器であるリュートのつまびきの模倣や分散奏法が取り入れられ、より撥弦の特徴を行かしたものが数多く書かれました。バッハの「フランス組曲」にはこうしたニュアンスが取り入れられており、「フランス趣味」で書かれた組曲である、と考えることが出来ます。バッハのチェンバロの為の組曲集には「6つのパルティータ」「イギリス組曲」「フランス組曲」の3曲集がありますが、中でも最も撥弦楽器の特徴を生かしたスタイルの作品がこの「フランス組曲」であると思います。
 組曲は、幾つかの舞曲で構成される作品です。今日演奏する第3番は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガヴォット、メヌエット と トリオ、ジーグの6つの舞曲で構成されています。最後に簡単に第3番に登場する舞曲について記しておきます。

・アルマンド: ドイツ伝統の4拍子の舞曲で、男女のペアが腕を様々な形を組んで踊ったものでした。
・クーラント: イタリア様式のもの(コレンテ)とフランス様式のものがありますが、フランスのものは3拍子系の舞曲で、17世紀迄は貴族に愛された舞曲でした。
・サラバンド: スペイン起源とされる3拍子を基本とする舞曲で、ルイ14世の時代には情熱的なエネルギーを秘めつつも荘重な舞曲として踊られたものでした。
・ガヴォット: 4拍子系の舞曲で、時代を経ると共に他の舞曲が変遷し、テンポや性格さえ変わってしまったものがあったにも関わらず、常に跳躍を含んで踊られた舞曲です。?
・メヌエット: 宮廷舞踊の花形として長きに渡って踊られたバロック宮廷舞踏を代表する舞曲。男女ペアで踊る舞曲で、少なくとも18世紀末まで踊られ続け、後にはワルツへと発展していきました。?
・ジーグ : イギリス起源の跳躍を多く含む舞曲。バロック時代には最も人気があった舞曲だと伝えられています。

( 曲目解説 : 中田 聖子 )

使用楽器 : 久保田彰 2002年製作 リュッカースモデル 二段鍵盤チェンバロ
調律法 : a'=415Hz 1/6PC


「J.S.バッハのチェンバロ音楽」
(オール・J.S.バッハ・プログラム)

ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

トッカータ ニ長調 BWV912 Toccata D-dur, BWV912

イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
第1楽章 / 第2楽章 アンダンテ / 第3楽章 プレスト
Italianisches Konzert F-dur, BWV971
I. / II. Andante / III. Presto

A. マルチェロの協奏曲に基づくチェンバロ独奏の為の協奏曲 ニ短調 BWV974
第1楽章 アンダンテ / 第2楽章 アダージョ / 第3楽章 プレスト
Concerto d-moll, BWV974
nach dem Concerto d-moll für Oboe, Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello
I. Andante / II. Adagio / III. Presto

半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
Chromatiche Fantasie und Fuge d-moll, BWV903

フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814
アルマンド / クーラント / サラバンド / ガヴォット / メヌエット - トリオ / ジーグ
Französischen Suite 3 h-moll, BWV814
Allemande / Courante / Sarabande / Gavotte / Menuet - Trio / Gigue

チェンバロ 中田 聖子 Seiko Nakata