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2007.08.17

Musicology ?? 1.言語との関連

「?」マークのついたMusicology...
「Vol.1 : 言語と音楽の関連」

演奏において、楽譜と向き合う際に、常に考えていることがある。音譜と言語との関連性である。 音符は、言葉と同じ「相手に物事を伝えるための一つの道具」であると思っているのだが、 音符を言葉に置き換えることが出来るか否か以前に、音符の構成や並びは言語と非常に密接であると思う。 音楽修辞学という学問分野が存在するが、もっと単純・低次元な所で、リズムや「語り口」を見てみれば、 音譜と言語が密接な関係にあるのが一目瞭然だ。

解りやすいところで言うと、日本語が常に「子音+母音」の連続による 「子音+母音+子音+母音+ … … +子音+母音」であるのに対して、 ヨーロッパの言語は、必ずしも「子音+母音」の連続ではなく、 そのことに、ちょっと気をつけるだけでも、楽譜の読み方が変わる。 又、楽譜を読んで行くと、前置詞に相当するような音符も、随所に見られる。 そんな部分を発見するだけで、楽譜の読み方も変わり、必然的に奏でる音楽も変わる。
さて、こんな風に書き出すと、言語学を絡めたお話ですか? という様相だが、 もっと簡単に「雰囲気」のお話...

ドイツの音楽とフランスの音楽、音楽の趣きが両者で異なるのは、一聴瞭然だが、楽譜を見てみても、 その趣向が異なるのが一目瞭然。
19世紀や20世紀音楽の楽譜も何だか音符の並びが違うねぇ... という印象を受けるが、 バロック期の楽譜も、両者で随分図柄が異なる。 よくインテリア感覚で楽譜が使われていることがあるけれども、その感覚で両者を見比べれば、 本当に別のものに見えると思う。
何が図柄を変えているのか... 特に18世紀作品においては、 フランスの作品には、実音符以外の小さな音符が沢山あるのに対し、 同方向性の作品においてドイツ音楽の楽譜は実音符で真っ黒に埋めつくされてしまっている。 実音符以外の「小さな音符」は、装飾音を意味するものだが、 ドイツの人は真面目だから、装飾も全部書き出したから、こんなにも真っ黒になったらしい。 この説、ではフランス人は真面目ではないのか!? という失礼な説だと私は思うのだが、 失礼な説かどうかは、さておき、実際のところ、例えばJ.S.バッハの「イタリア協奏曲」の 第2楽章など、音符の中から「装飾であるもの」を見つけ出さねばならない。

この「装飾をどう書くか」は、むろん「お国柄」の現れではあるが、 言語にも結びついているのではないだろうか。 私のような言語学にも疎く、また語学能を持ち合わせていない人間にとって、 母国語以外の言語は、耳にしても「言語」である以前に「音」としか聞こえないのだが、 フランス語は、発音の移動が小さく聞こえるのに対して、 ドイツ語は短い音節の言葉も非常にはっきりと聞こえる。 装飾もフランス作品では、小さな音符によってニュアンスを出そうとしているのに対し、 ドイツ作品では、装飾も明確に、自然発生的に実音の中で書こうとしたのではないだろうか?

あくまでも推測でしかないが、当時、音楽の先端はフランスにあったらしい。 だからフランスの語法がドイツに入って生じたものは、いかなるものか... ということを考える 必要があるというのだが、もっと根本的なところも見落としてはならないのではないだろうか。
言語と音楽の関連は、何もテキストや修辞学だけの問題ではなく、「音」そのものにとって、 大切な事柄のように思う。あくまでも、音楽芸術は、文化の一つであり、文化は、 社会というベースが存在してこそ成立するものなのだから...。
(2007/08/16 Seiko NAKATA)
Posted by Klavi:Seiko NAKATA at 2:43
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2007.08.04

8/4 Barocco Impression Plus! Vol.2 Program Note

2007. 8/4公演のBarocco Impression Plus! のProgram Noteをupします。

☆ お若い方へ...
奏者による観点に基づいて書かれたプログラムノートです。 レポートや御自身のプログラムに転載しても、点数や評価は絶対にとれません。


ジョージ・フリデリック・ヘンデル : オーボエと通奏低音の為のソナタ 変ロ長調 HWV.357
George Friderich Händel(1685 Halle - 1759 London): Sonata pour l'Hautbois solo (in si bemolle maggiore) HWV.357
I.  II.Grave III.Allegro
生前から現代に至るまで常にバロック時代の大作曲家として評価されているヘンデル。 彼はドイツ出身でイタリアに渡った後にイギリスに帰化した、国際的な作曲家でした。 彼の旋律楽器の為のソナタは、1730年頃にロンドンのウォルシュ(John Walsh)から 出版された12のソナタの他に、ケンブリッジのフィッツウィリアム・ミュージアムにある 3つのソナタと大英図書館に1つのソナタの手稿譜が残存しています。ヘンデルは、 これらのソナタについて「当時の私は悪魔にとりつかれたように作曲していたが、 それらは主としてオーボエのためのもので、オーボエは私が気に入っていた楽器であった」と述べた と伝えられています。今日演奏する変ロ長調のソナタは、 先述のフィッツウィリアム・ミュージアムに手稿譜が残されている作品です。

ウィリアム・バベル : オーボエと通奏低音の為のソナタ ト短調
William Babell (ca.1690 London? - 1722 London) : Sonata III for a Oboe witha Through Bass in G minor(ca.1725)
I. II.Air III.Hornpipe IV.Giga
バベルはあまり知られていない作曲家だと思いますが、 イギリスのチェンバロ奏者、教会オルガニスト、ヴァイオリニストであり作曲家・ 編曲者として名を馳せたと伝えられています。彼の父も音楽家で、80歳迄ドルリー・レーン劇場の ファゴット奏者を努めていたそうです。その父親から教育を受けたウィリアム・バベルですが、 一説によるとヘンデルからも教育を受けたと伝えられていますが、 それを裏付ける資料は残っていません。先述の通り、長寿の父に対し、 ウィリアムは33歳で亡くなっています。彼の名声はフランス、ネーデルランド、ドイツにまで 及んでいたようで、幾つかの作品は、これらの地域にて出版されました。本日演奏するソナタは ロンドンのウォルシュより出版された「12のソナタ 第2部」(1725年頃)の第3番として おさめられた作品です。

アレッサンドロ・ベゾッツィ : オーボエと通奏低音の為のソナタ ハ長調
Alessandro Besozzi (1702 Parma - 1793/1775 Torino) : Sonata per oboe e basso continuo in do maggiore
I.Andante II.Allegro III.Larghetto IV.Allegretto
17世紀中頃から19世紀中頃まで活躍した音楽家一族、ベゾッツィ家。 その一族の多くがイタリアのパルマやトリノの宮廷でオーボエ奏者として仕えた家系ですが、 アレッサンドロも例外ではないベゾッツィ家の一人でした。父親から教えを受け、 13歳でアイルランド守備隊のオーボエ奏者を務め、その後、1728年から31年までパルマ公の 礼拝堂に仕えました。後にトリノのカルロ・エマヌエーレ3世の宮廷においてオーボエ奏者・ 王室楽器奏者総監督として活躍。又、パリのコンセール・スピリチュエル(18世紀フランスの音楽集団) でも演奏した記録が残っています。
このオーボエ奏者アレッサンドロ・ベゾッツィが残した作品よりハ長調のソナタを演奏致します。

フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ : ソナタ 第7番 イ短調
Francesco Maria Veracini (1690 Firenze - 1768 Firenze) : sonata Sesta in la minore(1716)
I.Largo II.Allegro III.Allegro IV.Allegro
イタリアの作曲家・ヴァイオリニストで、音楽家及び画家の芸術家系に生まれた フランチェスコ・ヴェラチーニ。叔父のアントニオも優れた音楽家でしたが、 一族の中でも数少ない、芸術とは無縁の薬剤師であった父の元に生まれました。 ヴェラチーニはフィレンツェで生まれましたが、活動の中心はヴェネチアで、 正規メンバーでもないに関わらず、ヴェネチアと言えば皆さん御存知の教会、 聖マルコ大聖堂でのクリスマス・ミサでソリストとしてヴァイオリンを演奏したと伝えられています。 又、ロンドンのオペラ劇場や、ドレスデンの宮廷でも活躍し、 晩年再びフィレンツェに戻り教会音楽家として活動した作曲家でした。 彼は非常に革新的な作曲家であったと見られており、慣習に縛られない独創的な作品を残しています。 1716年出版の「ヴァイオリンあるいはリコーダーと通奏低音の為の12のソナタ」より本日は第7番を オーボエとチェンバロの通奏低音で演奏致します。

ヨハン・セバスチャン・バッハ : パルティータ第6番 ホ短調 BWV.830
Johann Sebastian Bach (1685 Eisenach - 1750 Leipzig): Partita VI, e-moll BWV.830
I.Toccata II.Allemande III.Courante IV.Sarabande V.Air VI. Tempo di gavotta VII. Gigue
前半でベゾッツィ、ヴェラチーニらの音楽家一族に生まれた作曲家のソナタを演奏致しましたが、 J.S.バッハも皆様御存知の通り、ドイツ アイゼナハの音楽家一族の一人。 1731年に「クラヴィーア練習曲集 第1部 Erster Teil der Klavierübung」として出版された6つの組曲が、 今日「6つのパルティータ」と呼ばれる曲で、彼の初の出版作品となったものです。 バッハは、チェンバロ曲としては「フランス組曲」「イギリス組曲」など多くの組曲を、 又、ヴァイオリンやチェロリュート、管弦楽の為の組曲も含めると非常に多数の「組曲」を残しています。 「組曲」は、バロック時代においては、幾つかの「舞曲」を並べて組まれた作品のことですが、 「6つのパルティータ」は舞曲形式にとらわれない自由さをもっています。 当時次第に「舞曲」が実際に踊られるものから鑑賞曲へと移行していった時代背景を反映した作品だと 言えるでしょう。第6番は、トッカータで始まり、6つの舞曲、即ちアルマンド、 クーラント、サラバンド、エール、ガボット、ジーグで構成されています。

ヨハン・セバスチャン・バッハ : オーボエとオブリガート・チェンバロの為のソナタ ト短調 BWV.1020
Johann Sebastian Bach (1685 Eisenach - 1750 Leipzig): Sonata für Oboe und Obligates Cembalo, g-moll BWV.1020
I.Allegro II.Adagio III.Allegro
前半にお聴き頂いた「ソナタ」は旋律楽器オーボエと通奏低音(:チェンバロ・パートに書かれている 音符は左手で弾く低音旋律のみで、右手の弾く音符は全く書かれておらず、ルールに基づく和音を 基本に、即興演奏していくものが通奏低音。バロック時代及び、それ以前の音楽の特徴で 「バロック時代=通奏低音時代」と言われることもある)による作品でしたが、この作品は 「旋律楽器とオブリガート・チェンバロ」の形で書かれています。この違いは、チェンバロ・ パートの右手に音符が書かれている点。バッハ以降の作曲家による、旋律楽器と鍵盤楽器の為の ソナタに、大譜表で右手と左手の音符がしっかりと指示されていることは、ごくごく当たり前の ことですが、バッハの頃は、この形で書かれた作品は、まだ珍しいものでした。
BWV.1020のソナタは、フルートとチェンバロの為に書かれたものですが、 今日オーボエ奏者のレパートリーとしても、よく演奏されている作品です。

Posted by Klavi:Seiko NAKATA at 4:21
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2007.02.09

1. 「G.フレスコバルディの流れはL.vanベートーヴェンへ」

ある日、町中のとあるビルの中を歩いていると...とても懐かしい曲が流れて来た。
L.van ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven ca.1770-1827)の 「ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73」(1809)...『皇帝』である。 子供の頃とても大好きな曲で、練習に励んでいた記憶がある。 この曲をオーケストラと弾くことはなかったが、冒頭部分がとても好きだった。
Beethoven氏には申し訳ないが、J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の音楽に傾倒し、 チェンバリストとなって、随分長い間「皇帝」のことを頭の片隅に追いやっていたが... 先日、久々に耳にして刺激のようなものが走った。
「あれ? この手法はG.フレスコバルディ(Giralamo Frescobaldi 1583-1643)ではないか」
勿論、これはぶっ飛んだ考え方である。
「皇帝」の冒頭は、オーケストラとソリスト(Tutti)が、この曲の調性Es-dur(変ホ長調)の 主和音を鳴らして始まる。そして、ソリストのピアニストが、この主和音を分散させるアルペジオを演奏、 2度の連続が続き、主和音の構成音を軸にしたパッセージで下降、再び音階で上行し、 2度ずつ音階下降して、ドッペルドミナントの和音を再びトゥッティが演奏。 その後、またソリストが速いパッセージを見せていく作り。言葉にすると何のことやら? だが、 皆様もよく御存知の作品だと思う。この冒頭、ずっとカデンツァ(Cadenza)だと思っていた。 そもそもCadenzaで始まるなんて、謎な曲だなぁと思っていた。Cadenza(独)もCadenz(伊)同様に、 元々終止形に起因するものだから、曲の冒頭に置くなんておかしい。
しかし、スタイルとは、どんどん変貌していくものであり...発展と言う方が正しいかもしれない... Beethovenの時代になれば、何でもありなのかもしれないと解釈していた。 原典を見ていないのだけれども、私の手元にある楽譜(古いものだ が、Breitkopf &Härtel版)を確認してみると、ソリストが奏でている間のオケ譜のところには 「 (cadenza)」と丁寧に書いてある。私の「Candenzaだと思うけど、こんな頭にCadenzaを置くなんて変!」 という疑問自体が誤りだったのか。
さて、現在のチェンバリストとしての私の耳には、決して、ここがCadenzaには聞こえなかったのだ。 「この主法はG.Frescobaldiではないか」と思ったように、真っ先にFrescobaldiのToccata冒頭との共通項が、 頭に浮かんだのだ。Frescobaldiは代表者としての代名詞として浮かんだのだが、 17世紀イタリアのG.Frescobaldi氏によって1つのスタイルとして大成されたと言われる「トッカータ様式」 は、楽譜づらは、その作品の調の主和音によって始まる。文字にパターン化して表すのは、 やや難しいが、主和音を奏でた後は、和音が幾つか置かれていたり、あるいは音階による走句や、 書き出されたトリルと見なすことの出来る2度音程の連続が書かれていたりする。実際には、 オルガンでは、最初に主和音を聴かせ、チェンバロでは書かれた白玉の主和音は、 分散アルペジオを聴かせる。その次は、楽譜に書かれている走句としての音符を趣味良く即興的によって 奏でていく。このスタイルは、Frescobaldiに学んだ(あるいは影響を受けた)とされるJ.J.フローベルガー (Johann Jakob Froberger 1616-1667)やヴェックマン(Matthian Weckmann ca.1616-1674)に よってドイツに入る。これは「バロック期のトッカータ様式」だと言って良いように、 奏者として私は感じている。
「皇帝」と17世紀のトッカータ作品を御存知の方ならば、ここまで言うと、 すぐにお分かりになられるかと思うが、「皇帝」の冒頭は、 トッカータ様式の冒頭に酷似する(/通ずるものがある)。
最初に主和音を鳴らす... これはバロックのトッカータ様式と同じ。ちなみに、 17世紀のトッカータ様式において、最初に主和音を鳴らすのは、 「今から、この調の音楽が始まりますよ」という提示の意味合いがあるらしい。 作品毎の解釈にもよるが、この意味を知ってからは、 最初にケバケバしく和音をチェンバロでかき鳴らすのは、あまり相応しくないのかもしれない と思うようになった(豪華に弾きたくなる作品もあるのだが...)。 「皇帝」でも、時代回帰? 最初に変ホ長調が始まりますよ!! とベートーヴェンは言いたくなったのだろうか。 (☆調性音楽においては、たいてい主和音の構成音から曲は始まりますが...)
「皇帝」・・・主和音提示の後、主和音分散アルペジオを演奏・・・トッカータ様式においても、 長い音符で和音だけ書かれていても実際の演奏現場では、分散アルペジオを駆使する。
(皇帝) 次に2度の連続・・・書き出されたトリルが、バロックのドイツ作品には、よく見られるのだが、 チェンバリストとして 「皇帝」の楽譜を見ると、この部分はトリルに見えた。(故に、書き出されたトリルと見なす)
(皇帝)主和音の構成音を主和音の構成音を軸にしたパッセージで下降・・・ バロック・トッカータ様式においても使われる。
(皇帝)再び音階で上行し、2度ずつ音階下降・・・ 上に同じ。
むろん、一つのInventio(動機)の根底が主和音であった場合に、 作曲法における動機展開の基本中の基本の手法ではあるが、 「皇帝」においても、「Iの和音(主和音)をいつまで引っ張るねん!」と大阪人 はツッコミしたくなるくらい、楽譜見開き半ページ分、ずっと音楽の動機根底がIの和音。 ここまで「ふむふむ」と読んで下さった方には、「いつまで引っ張るねん!」に注目し て頂きたいのだが、バロック期のトッカータ様式及びプレリュードにおいても、 その多くの作品が、Iの和音をいつまでも引っ張って展開しながらオープニングとするのだ。 そして、やっと和音を変える時、その和音を「しっかりと」聴かせる。 この変わった和音を「しっかりと」聴かせることは、「皇帝」において、 TuttiでIの和音から変わったドッペルドミナントを「しっかりと」聴衆に聴かせている点に同じ。 この「皇帝」の冒頭、古いスタイルからの流れを受け継いでいるのではないか... と思えるのだ。
「皇帝」の冒頭は、決して「曲の頭に何故か持ってこられたカデンツ」ではなく、 バロック・トッカータ様式を受け継いだ、「トッカータ」で始まる第1楽章と見なすことは出来ないだろうか。
L.vanBeethovenに対する資料根拠は何もない論考だが、 彼のお祖父さんは、現在のベルギーにあるブリュッセル・メッヘレン・ルーヴェンを結ぶ地域の出身の 音楽家のようだ。この地域はフランドル地域であり、バロック初期、簡単に言えば音楽 が隆盛した地域でもある。何らかの形で、G.Frescobaldiらに始まる初期様式もベートーヴェン家の DNAに記憶されていたことを否定は出来ないかもしれない。ちなみに、L.van Beethoven自身も 「幼少期にクラヴィコードを習った」という史実が伝えられている。彼が生まれた1770年には、 バロック最期の作曲家とされるJ.S.Bachは他界して20年経過しているが、 フランドルのチェンバロ製作家 D.デュルケンの最後の作品と伝えられているのは1755年の作品であり、 それから2-30年は、ピアノが発明されていたとは言え、チェンバロとピアノの新旧混合の時代と言えよう。常識的に推測すると、ドイツには、 まだチェンバロの方が台数としては多かったのではないかと思われる。 「皇帝」冒頭に対することで、私はベートーヴェンも、クラヴィコードやオルガン、チェンバロで、 G.フレスコバルディやフローベルガーらの17世紀の作曲家たちのトッカータ作品 を弾いていたのかもしれないなぁ...という希望的観測を持っている。
長々と書いて来たが、勝手な論考の結論は、「ベートーヴェンの『皇帝』の冒頭は、 カデンツァではなくトッカータ様式である」 更に、バロック作品の中でも、一般に受け入れがたいものとされる 「17世紀の作品様式は、脈々とベートーヴェンにまで、 受け継がれている」ということである。 「G.フレスコバルディの流れ」はJ.S.バッハでは終わっていない。 少なくともL.vanベートーヴェンに受け継がれている筈。 (「G.フレスコバルディの流れは、L.vanベートーヴェンへ」 チェンバリスト 中田 聖子 2007年2月24日)
Posted by Klavi:Seiko NAKATA at 4:32
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